結果を得るには過程を重視する

「結果を出します」の言い回し

特に何年か前では、オリンピックやワールドカップといった大きな大会や世界的な試合で、「結果を出します」と選手が意気込んでいるシーンがよく見られました。

最近では、「全力で楽しみたいです」というフレーズもよく見聞きし、そのいずれにしても「勝たなければいけない」というプレッシャー(まさに重圧、精神的な重圧)に立ち向かうもののように思います。

懸命に試合をするだけでなく、金メダルや優勝トロフィーを手に入れないことには、周りは認めてくれないという"結果ありき"の視線にさらされているわけです。

勝敗を競うスポーツの試合がわかりやすいものの、これは普段の仕事であるとか、試験を受けて資格を得るようなことでも当てはまることです。

当然、契約とか合格とか、しかるべき結果や成果を得るために取り組んでいるわけで、ただ取り組んで終わり、楽しめれば良いというものではありません。

相応の時間やお金、しかるべき労力や手間をかけているのなら、返ってくるものは大きいとか、多い方が好ましく思います。



それだけに、結果にこだわる→「結果を出す」という言い方に行き着くのは、容易に想像できることです。

もう少し踏み込んでみると、果たして結果は"出す"ものなのか、また、その取り組む過程はどうなっているのか?という、瑣末なことかもしれないけれど、気になる言い方であると、私は感じます。

スポーツにおける、金メダルや優勝トロフィー至上主義になりすぎるのも、物事の本質をかえって見失ってしまうように思います。

「最善を尽くす」と考える

スポーツの例で考えてみると、物事の流れとしては、試合をして、より良いパフォーマンスをした方が勝って、勝利という結果を得ます。

野球やサッカーでも、多くの点を取った方が勝ちで、多くバットを振ったから、多くシュートを打ったから、そのまま勝ちの評価=結果につながるわけではありません。

ただ、得点を得るために多くの試行錯誤をするとか、「勝ち」を得ようとする試みが多い方が、よりそれに近づくのはあるでしょう。

言い方を変えれば、その都度、選手ひとりひとりができることを精一杯やる、そんな「最善を尽くす」姿勢があって、勝ちの可能性が高まっていきます。

また、ひとつひとつの行動を良いものであるように「最善を尽くす」過程があるから、相応の結果や成果が自ずと出ていくようにも思います。

そう考えていくと、結果とは、しゃかりきになって"出す"ものではなく、しゃかりきにやるから"出てくる"ものなのではないでしょうか?

結果は、最終的に出てくるから結果なのであって、最初からコントロールしきれるものではなく、できることは、過程のそれぞれで「最善を尽くす」ことしかできないものです。

これが、残業をして遅くまで仕事をする、不眠不休で倒れるほどまで働いている人が良いかといえばそうでもなく、それで評価が高くなるのも本末転倒でしょう。

しっかり取り組むのではあるけれど、効率を考えて時間を短縮するとか、手際良くやれるようにマニュアルをつくる、そういう取り組みの方が評価の対象となる気がします。

その方が、売り上げや利益という結果につながりやすいので、付随して評価の対象になるという順序で、評価を上げることが先に来ない方が賢明です。

「今、ここ」でできること

これを、自分たちの仕事において当てはめてみてもそうで、お客さまに商品やサービスを提案したり、より喜ばれるように提供したりするから、売り上げや利益という「結果」が出てきます。

お客さまのために何ができるのか、そういうことをその都度、考えてやっていくから、その「結果」が大きくなったり、伸びていったりしていきます。

これも無償の慈善事業ではないので、当然、こだわっていくものではありますが、先にそれを考えすぎない方が、かえって得るものが大きくなる気がします。

飲食業では、おいしいもの、旬のものを揃えるから、お客さまは「おいしい」と思って、来店したり、多く注文したりしていくわけです。

それを売り上げや利益ばかりを見て、安っぽい粗末なものを揃えてしまっては、かえって客足は遠のいてしまいます。

売り上げや利益があるから、その後の改善がしやすいのはありますが、先にそれらが来ないあたり、うんうんと必死で思案していくことで、ようやく得られるものです。

元気よく「いらっしゃいませ」と言うとか、品揃えを良くして、並べるのもキレイにするとか、そういうひとつひとつの積み重ねがあって、売り上げや利益につながっていきます。

結果を出したければ、その過程を重視する、あるいは、「今、ここ」でできること=「最善を尽くす」は何なのかを考えて実行していくこと、そういう意識を持っていきたいものです。

では、また。