2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

書けないこと自体を書く

真っ白な紙面や画面を前にして何かを書こうと思っても、特段何も浮かんでこないようなことは、時としてないわけではないです。 つまりは、そういうことも"ある"わけですが、その場合には書かない選択を取って何も書きつけることもないので、「書くことが…

差し出す時のマナー

誰かの文章を読んでいて、何かしらの「違和感」を感じることがあった場合、それはどういうところに起因しているのかなというのを、それもまた良い機会であるので、自分なりに考えてみようかなと思いました。 自分の書いたものが、読んだ誰かの反感を買うと…

使う手立てとその目的

端的に言えば、TwitterやInstagramをどう使うのかは、人によって随分異なるなという印象を持ちます。 ツールとして、文字や写真を投稿するということにおいては同じですが、その中身として異なれば、及ぼす影響や効果のようなところでも、事情は大きく変わ…

その先々も見通しつつ

はあちゅうさんの「半径5メートルの野望」(講談社文庫・2016年)を読んでいて、いくつもの視点・観点から述べられてはいるのだけれど、意外と、最近意識している「脚下照顧」という言葉と相通ずるものがあるように思いました。 「脚下照顧」においては、"…

少しずつ生じていく

"はじまる前にはじめておく"、そんなことは可能なのかと問われれば、広義においては「可能である」ということができるような気がします。 たとえば、頭で考えるのとカラダを動かすのを別にして「走る」ことを考えてみれば、地面を蹴って足を前に出してい…

スタート地点に立つ前に

自分の、モノの考え方がそうである反映として、言葉を多大に尽くして語るか、ひと言ふた言で済ませたいかのどちらかの両極にある気がします。 たとえば、好みの色合いについて語る時、絵の具のチューブから出したままの「赤」とか「緑」ではなくて、赤で言…

四季折々に添えるように

最近は、"字切り"と出てくる表現の関連について考えているのですが、どうしても長年のクセのようなものは抜けないもので、どうしてもパソコンで見るとちょうど収まるようにして、句読点を目安に区切ってしまうものです。 最近ではケータイ(スマホ)で見…