使う手立てとその目的

 

端的に言えば、TwitterInstagramをどう使うのかは、人によって随分異なるなという印象を持ちます。

ツールとして、文字や写真を投稿するということにおいては同じですが、その中身として異なれば、及ぼす影響や効果のようなところでも、事情は大きく変わってくるものです。

ブログにしても似たようなもので、いくつもの投稿が並んでくればそこから透けて見えるように、その人の"人となり"が浮かび上がってくるものです。

自分もそうなのかもしれないので自戒を込めつつ、意外と「こうすれば上手にいく」というように、手段を用いることがそのまま何かの成果を得られるというように思う人が多いのかもしれません。

たとえば、"ランニングをするから健康になる"のだとしても、ランニングすなわちイコール健康なのではなくて、走る距離や時間、自分の脈拍や筋肉の動き、水分や栄養の補給、そして、休養など、多くの要素を組み合わせて、それもしばらく続けることによって「健康」と呼べる状態になるのではないでしょうか。

同じようにして、トレーニング・ジムに通うから良いのではなくて、ジムでしっかりトレーニングを積むから良いので、そういう物事の順番であったり、道理であったりを履き違えないように気をつけたいものです。

そのためにも、日頃から、目的と手段を分けて考えておくとか、そもそも自分はどうしたいのかを知っておくことが必要であるのでしょう。

それはまた、生きていく上での「信念」とか「信条」のようなものにも続く話で、人の生まれ出る時間や場所が異なっていても、それでも生を受けて「よーいドン!」となれば、そこからどうにか生きていかなければならないものです。

そして、何か役割(のようなもの)を果たしていくことにもなるのですが、自分のことに無関心でいては、何をどうしようもなくなってしまいます。

冒頭の話に戻れば、コンピューターやインターネットがあれば何でもできるというのではなくて、結局はそれを使う人の裁量次第でもあるので、便利さばかりに頼るのではなくて、自分がどうしたいのかを知らないことには、何にもなりません。

もちろん、時期や時代の変化によって、身の回り状況も変わってくることもあるでしょうが、そういう変化にも耐えうるように、自分の大切にしているものをそっと守るような姿勢も必要であるように思います☆