新しいことにまた向かっていく

変化の兆しを感じながら

最近、生活を取り巻くいくつかの変化があり、それにともなって、思うことのひとつふたつが浮かんでいます。

今の生活が、ずっとこのまま続けば良いなと思いながら、ひとまずは2〜3年の間は、それで過ごせるのかもしれません。

それも5年、10年単位で同じように続くのかといえば、願いはするものの、必ずしもそうではないのが現実です。

同じ会社で働いている人であっても、人事異動、転勤、転職・退職などの出会いと別れ、自分がそうであったり、周りの人がそうであったりします。

私自身も、まあ、数年単位で生活が変わることもあり、2019〜2020年頃から考えると、また変わり時なのはあります。

ここ最近というか、近年の様子では、決して放棄はしていないのだけれど、どうにも気分が乗らず、現状維持が関の山という感じでした。

「どうせやったところで・・・」みたいなことも言いませんが、何かしら自分の年齢、スキル、状態に引け目があったのだろうかと、今では思うものです。

新人というにしては年齢を重ねているし、ベテランというほどには熟達しているのか?というように、どうにも中途半端なわけです。

振り返ればそうであったということで、言い訳も弁明もないわけですが、世界的なアレを口実にしつつ、少しずつ衰退もしていたのかもしれません。

何かキッカケを探すようなこともなく、ずるずると「精神的な引きこもり」状態で、特に外に多く出ることもなく、また、人ともほとんど関わらないということで、そこに対する意欲がありませんでした。

刀の斬れ味を試すように

そういう今に差しかかり、パッと浮かんだのでは、「刀を研いでいるばかりでなく、実際に斬れ味を試していく」タイミングだということ。

サムライの刀にしても、「最も美しい刀は、最も斬れ味の良い刀」であるそうなので、丁寧に研いで磨いているだけでもいけないのです。

実際に、人を叩っ斬るわけではありませんが、たとえば、マーケティングとかビジネス的な知見も、頭で知っているだけで、実際の場面に当てはめないのでは、宝の持ち腐れというものです。

そこに、挑んでいくといいますか、これまでの知識や経験、さらに近年培ってきたもので、世の中のお役立ちになるような活動をしていくべきです。

では、絶対的な自信があるかといえば、「場合による」もので、ただ自分の可能性(ポテンシャル)を見誤らないようでいたいものです。

ほんの短い期間、今の直近の成果や状態だけを見て、そこでの評価を重要視してしまう傾向もありますが、これを時間の経過に乗せてみれば、今後、どうなるかは未知数でわからないものです。

今後の伸び代も含め、もう少し大きな視点に立って、自分自身に、「大丈夫、思っている以上にやれるよ」と、期待をかけても良さそうです。

それに、どれくらいの伸び代があるのか、思っている以上に通用するとか、成長の余地があるかもしれず、やってみるからわかることでもあり、そこの自分の可能性に賭けてみるのも手です。

その時々、最善を尽くすようにして、同時に、「こうなると良いな」をありありと思い浮かべて、それに向かっていくのが良さそうです。

そういうことで付随して思うことは、「テレビに出たい」と思った時、意外と出れる方法はあるのでは?ということです。

「月9ドラマ」の主役に抜擢みたいなことは、可能性は低くなりそうですが、街頭インタビュー、番組のエキストラ、日本道路交通情報センターなど、夢がかなうことも多かろうということです。

当初思っていたのとは異なるかもしれないけれど、最初に何も思わないでいては、行動にも起こせませんし、意外とかなっていることにも気づきません(ありがたみを感じない)。

人生における前半生と後半生

人生においては、今は寿命100年時代とも言われています。

実際には、健康で過ごせるのがせいぜい80〜90歳くらいまでとして(当然、個人差あり)、そうなると、私自身ではちょうど折り返し地点にいるわけです。

この話は、どこかに書き記したかどうか定かではないのですが、自分の好きな話なので紹介します。

小林正観さんの語る話のひとつで、ひとりの人生を陸上競技場のトラック1周と見立てるものです。

楕円の細まったところ(あるいは、頭)からスタートし、グルッと一周する場合では、最初に走り出した時の向きと、最後に走り抜ける時の向きが正反対になります。

イメージがつきにくい場合では、直線で走り、一旦壁タッチして戻ってくるような感じです。

そのような、行きと帰りとで走る向きが異なり、しかも、最初の方(壁タッチの前)では、「向かい風」が吹いているとします。

それは、人生の前半、私たちが若い時であるので、逆境や苦難の比喩としての「向かい風」に立ち向かっていく方が、奮起がわき、物事が上手く進むといわれています。

ある意味では、周りの人や何事をも押し退けて、"何くそ精神"で突き進むような勢いがあるのが好ましいです。

一方、後半では反転し、「向かい風」だったものが、背中を押す「追い風」に変わります。

この時には、風に吹かれるがまま進むように、今の自分があるのは、周りの人のおかげ、自分以外の物事のおかげと思う方が上手く進みます。

年齢を追うごとに、また、人生の後半に向かうにつれて、より「ありがとう」と感謝の気持ちを持ち、また、いつも「おかげさま」と謙虚であるのが好ましいです。

今後の展望、つよくいきよう

効率の良いエネルギーの使い方+【自己紹介】にまつわる話2023



こちらのnote記事では、たとえば、「起業する、上場する」というような燃えたぎる目標もなく・・・といったことを綴りましたが、それは決して「気力がない」ということではありません。

何かを達成しなくていけない、達成してお金、地位、名誉を得るのだーというようなギラギラさを打ち出すより、今はまさに、人生の後半に差しかかっていることを自覚すると良いのです。

自分の何が活かせるかはわからないけれど、周りの求めるまま、そして、状況に流されるがまま、自分に課せられた事柄を"淡々と"こなしていくのが望ましい姿です。

私の場合では、これまでには、声が良い、話が面白い、説明が上手みたいなことを言われたことがあるので、人前で何かを話すのが、ひとつ取り柄としてありそうです。

これが、ラジオのDJなのか、学習塾の講師なのか、教育系YouTuberになるのかは、自分であらかじめ決めるというより、いつの間にかそうなっていたということが起こり得るのです。

あるいは、ショッピングモールの館内放送とか、スーパーの鮮魚コーナーでの呼びかけとか、何かしらは「声、話す」ことに関わることがあるのかもしれません。

何がどうなるのかの全体自体、良い感じでの「おまかせ」の態勢でいると、思ってもみない、それも、とびきり良い方での出会いや巡り合わせがあるかもしれません。

私自身としては、繰り返しになりますが、いつも周囲に対する感謝の気持ちを忘れず、自分のできること(マーケティングやビジネスの事例研究)を謙虚に取り組んでいくだけです。

ちょうど人生の過渡期であり、折り返しということで、10代、20代の、学校に通っているとか、新入社員として・・・みたいな初々しい体験はないとしても、自分なりの達成(それも、想像以上の)が訪れるはずです。

「こうなると良いな」の大小あれこれを、自由奔放に思い浮かべていくこととで、楽しいことの多く、それも自分の思っている以上の多くが訪れていくことでしょう。

今は今のとか、自分の年代ならではの喜びを多く感じていけるように、目の前に現れてくる自分のお役目を、その都度、果たしていこうと思う次第です。

それでは、最後にお聞きください!石井竜也さんで「つよくいきよう」。

では、また。

石井竜也 『つよくいきよう』MUSIC VIDEO