四季折々に添えるように

 

最近は、"字切り"と出てくる表現の関連について考えているのですが、どうしても長年のクセのようなものは抜けないもので、どうしてもパソコンで見るとちょうど収まるようにして、句読点を目安に区切ってしまうものです。

最近ではケータイ(スマホ)で見る(読む)人も多いでしょうから、文字の大きさを変えて、改行も小まめにすれば見やすくはなるでしょうが、個人的には何も変更を加えずパソコンを基準にしてやっていきたいなという思いもあって、なかなか葛藤するものです。

今のこのように、一文をつなげてやっていくのが改行や文字の大きさを気にしなくて済むのはある一方、過不足のないようにすればそこそこに長くなってしまうのも、思案のしどころとも言えます。

気にしすぎると何も書けなくなってしまいますし、装飾のところに違和感があれば内容が頭に入らないということもあるので、どうにも適切なバランスが大切ということになります。

音楽でいうところの、リズムとメロディーのような関係で、タテに区切っていくのか、横に流れていくのか、それによって生ずるテンポ感も自ずと異なってくるので、今後も気にしながらやっていくことになるでしょう。

最終的には、自分の書きたいものを書きたいように書く、それでも目を通す・読み進めてもらうに十分に耐えるような配慮は忘れないようにして続けていこうと思います。

書きたいことや言いたいこともそうですが、実際にやってみることにおいてもあると思っていて、考えているばかりにならないようにするのが大切なことかなと思います。

先日も、いつもとは異なるようなことをしてみて(詳細は割愛)、また少し異なった心地になったし、気持ちも随分楽に思えるようになっています。

少し時間が経ってじわじわと来るようなところもあるし、冬の寒さも緩んできている今日この頃ですから、そういう意味で、次のとなるのか新しいとなるのかは呼び方の差異にしか過ぎないものです。

集中してしっかり考えるということもそうですが、時間が過ぎないと浮かんでこない考えもあるにはあるので、悠長に構えるわけでもなく早急にコトを進めるわけでもない、そのちょうど良い按配があって、何かがはじまっていくのでしょう。

言いたいことを言おうと思ったら、その前の段階のところで終始してしまったので、続きはまた機会を改めることにいたします☆