書けないこと自体を書く

 

真っ白な紙面や画面を前にして何かを書こうと思っても、特段何も浮かんでこないようなことは、時としてないわけではないです。

つまりは、そういうことも"ある"わけですが、その場合には書かない選択を取って何も書きつけることもないので、「書くことがない」ということ自体が前面に出てこないだけになります。

そして、もう少しねばってみるのなら、たとえ何も書くことがないとしても、なぜ書くことがないのかとか、書きたいけれど書けないのはどういう理由によってなのかとか、とりあえず書くに至るまでのことを考えながらでは、少しくらいは書くことはできそうです。

とりあえず何も考えず、"あー"でも"うー"でも言うようにして、それがバーのような場所で独り言を言っているような状況として、心配したマスターが「お客さん、一体どうしたんです。うなっているように聞こえるのはどうしたんでしょうか・・・」と問いかけることもあるかもしれません。

マスターに答えるようにして、「実はね・・・」というところからはじめてみれば、自分がどういうところで詰まっていたのか、悩んでいるとしても別のことが至極気になっていた、そんなことにも思い至ることもあるでしょう。

蛇口をひねっても水が出てこなければ、放置せずに掃除や修理を施すように、言うにせよ書くにせよ、自分の言葉が出てこないようであれば、少しずつ"つまり"を取り除いて、出るような工夫をする必要があるように思います。

走り出す前には、いくらかの準備体操をしてスムースに動けるようにするし、書くためにも心身ほぐして、リラックスしておくことも大切です。

このような、ひとまとめの文章を綴る時に限った話ではなく、他の場合でも思うようにならないこともあるでしょう。

むしろ、ままならないことの方が多いと思う人もいるかもしれません。

たとえ、そのような場面に出くわしたとしても、その時々ではどのように対処したのかを書き残しておけば、後になって何かしらの参考になるでしょうから、わからないことをわかろうとしたとか、何らかの問題を解決したというプロセスを、順を追ってわかりやすくしておくことも良いかなと思います。

いずれにしても、何かを思って考えるような場合では、多少なりとも言葉を用いていくわけですから、そのことを知っているということ自体が貴重なのかもしれません☆