それは旅立ちの

 

あまりにも不甲斐ない現状を目の当たりにして、どうにも打つ手はないものか、自分にできることは何かないものかなど、親切を働かせたところでどうにもならないこともあるものです。

いたるところに"ほころび"はあって、それに敏感に察するような、極めて真っ当なようであろうとする自分の方が端っこにいるようなこともあり、そういう気分になってしまうのも何だか残念な思いがするものです。

それに対して、不平・不満を募らせるばかりでなく、だからといって鈍感に染まる必要もないわけです。

自分が足を引っ張られることなく、追い風を吹かしていきたいとあれば、後ろや下を向くことなく、ひたすらステップアップしていくだけのことです。

もしも足踏みをしているようなことであれば、それはなるほど自分の現状があまり変わっていないということでもあって、自分自身で何かを変えようとしていないんだなということを痛感するものです。

実際に行動に移すことでしか現状は変わらないものですが、その前提として自分自身の気分や感覚がどうであるかもまた変化への大きな兆しとなっていきます。

 

どうにか現状を打破するにしても、その打破したあとにはどうしていきたいのか、あるいは、最終的には自分はどうなっていたいのかを描いていないと、壁を取り払ったところで立ち往生することにもなりかねません。

たとえば、風船を突き破るにしても、突き破ったあとを考えていないと、どこへへも飛んでいくことはなく、突き破る勢いすらも減じてしまうかもしれないものです。

得も言われぬ勢いというのも時には必要であって、ある程度は事前の予測が立つかもしれませんが、無謀とも言うくらいでちょうど良いかもしれません。

だいたい結構な勢いで飛んでいかないことには、どうにも後ろ髪を引かれるような思いをしてしまいがちなので、振り切るくらいでやっていきたいものです。

もしも現状に甘んじてしまうようであれば、それは旅立ちの知らせなのかもしれないと思う、いつになっても立ち止まることはできないようになっているわけです。

ひとつのことを続けることも大切、また、いつも変わり続けることも大切、どちらがより大切なのかということではなく、タイミングや自分の気持ち次第で切り替えていくということなのでしょう。

いずれにしてもより良い状態を目指すようでありたいし、そうなるように心がけていきたい、それは確かなことであるように思います☆