良かれと思って

 

自分以外の、誰かの「〜したい」、「こうなると良いな」ということに対し、こちらとしても何か力になりたいなと思うことがあります。

たとえば、「ステキな人に出会いたい」となれば、自分の知り合いの中にいないかとか、こういうサービスが良いのでは?など、できる限りのことをしようとします。

しかし、よく聞いてみるとその「ステキな人」は、恋人になるような人のことではなくて、テレビを見て応援するとか、自分の髪を上手に切ってくれる人という意味合いだったということもあるものです。

よく聞いてみないとわからないということもありますが、自分のかけた労力が方向違いの方にまっしぐらというのは何ともお恥ずかしい限り、仲を取り持って、紹介しようとしていた人に対しても面目が立たないわけです。

このように、"良かれと思って"やったことが、何の役にも立たず、余計な誤解を招いてかえって大ごとになってしまうようでは、いささか萎縮もしてしまうものです。

何もしない方が波風が立たないのであれば、どうしても無難な方として選んでしまうことも多い気がします。

あるいは、より慎重に構えるようになって、思っているほど成果が出ないようなこともあるでしょう。

そのように考えていくと、何もやらないのも良いかもしれないけれど、ただ、何か行動を起こすことによって、想像をはるかに越える喜びがあるかもしれません。

何もやらなければ何もないわけですし、いつも何かをするたびに驚くほどのことはないかもしれない、それでも、その"良かれと思って"やることは大切なのかなとも思います。

打率は良くて3割、他の7割ほどは空振りをするかもしれないので、そこは了承してもらうのが良いかもしれません。

あとは根底にある誠意のようなものは、いつも欠かさず持っているのが良いでしょう。

決して迷惑をかけるわけではない、何か役に立てるようでありたい、そう思っていることが、より良い行動の実践につながっていくように思います。

場数をこなすことによって、物事の見極めもできるようになっていくはずなので、無理のない範囲で、自分の及ぼす影響の程度を考えながら、誰かのために動いていきたいものです。

それがお互いにとか、全体でできるようであれば、助け合いの輪が広がっていくように思います☆