行き先はどこでも

 

時々、人の振る舞いを見ていると「今度はそっちに行ったかー」と思うことがなきにしもあらず、つまり、あることがあります。

それは、おいしいハンバーガーを売りにしていたお店が、何を思ったか、焼き鳥専門店になるようなことで、その心変わりはいかにと思わずにいられません。

その本質が、「おいしいものを届けて、笑顔になってほしい」みたいなことであれば、それは守られているわけですが、これがメガネ屋になると、本質的な何かが見えなくなってしまいます。

もちろん、利用するこちら側と運営するあちら側では、見え方も詳しい事情も異なるわけですが、それを上手に表しているとか、こちらの疑問を上手に解消しているようなことでは、それはそれで良いように思います。

商売とは、売り上げを上げるかどうかと同等かそれ以上に、お客さまの役に立ちたいという気持ちがないと成り立たない気がします。

最近は、視力の落ちている人が増えてきているとか、パソコンやケータイ電話(スマホ)を使う時間が多いので、保護するためのメガネの需要が目に見えてわかっているのならば、商売の内容をガラッと変えるという判断も、あってしかるべしと思います。

また、これをもう少し大きな範囲で見つめてみると、個人の活動や個々の人付き合いにおいても見えることがあって、そこで見えてくるものも多くあります。

わかりやすい話では、ヤンチャになるにつれて、バイクに乗る仲間が増えるとか、夜な夜な高架下にたむろするようになるとか、友だちや知り合いになるから似てくるのか、そもそも「類は友を呼ぶ」のか、そういう傾向が次第に強まってきます。

よく、その人がどういう人であるのかを知りたければ、周りにいる人を観察するのが良いというような言い方や考え方があるものですが、いわゆる"人となり"は、日頃の言動に現れたり、周囲にいる人に影響されたりしているのでしょう。

そして、これが一過性のものなのか、根強く続くものなのかは一概には言えませんが、こちらとしては、少し冷静な目でとらえていくのが良いかもしれません。

時間が経つにつれてどうなっていくものかもありますし、果たして本質的な何かを保持しているのかどうかは、すぐにはわかるわけではないということを鑑みておくと良いような気がします☆