記憶を探る

 

気になることは手元やメモに書きつけたり、自分のパソコンやケータイ(スマホ)に残したりするけれども、すべてをそうしているわけでもなく、時にどうにも思い出せないことはあるものです。

あるのはかすかな記憶ばかり、確かに見た気がするんだけどな、しかし、あれは一体何なんだということばかり気になって仕方がありません。

時間が経つにつれて記憶が曖昧になる部分はあるし、思い出すきっかけが少なければ、それを手繰り寄せることすら至難の業であります。

ただひとつというか、それとなく多くの信頼を寄せていることがあって、それは脳であったり身体だったり、自分自身のカラダのどこかで記憶はされているということです。

目にしたもの耳にしたもの、全部が全部覚えていようとしてもキリはないし、覚えているもの全部を思い出そうとしても溢れかえってしまうわけで、記憶の整理が自然となされていくのは仕方がないことでしょう。

それでも、記憶の引き出しの奥の方には、小さくたたまれてしまってあるように、今はすぐに取り出せはしないけれども、また機会があれば手にすることができると思っています。

今の時点でできるのは、記憶の方々を照らしながら、どうにかこうにか断片を探ることであり、どうにか特定できるところまで続けるということではないでしょうか。

こちらから近づいていくとともに、向こうからも寄ってくれば、どこかのタイミングで遭遇できるはず、つまりはそういうことのように思います。

これもひとつの実験と思って、いつか思い出せると良いなと思いながら、早く思い出せるようにいろいろ調べるとか、手を尽くすようにしていきたいものです。

あとは、そういう思いの強さと言いますか、見つけたいと思う方に意識を束ねる方が、より集中することができるように思います。

そうやっていろいろ駆使していると、それ以外の過去にあったことや、いたるところで見聞きした知識や体験、あるいは、今後に向けて考えていることなどが渾然一体となって押し寄せてくるように思います。

こういうことも今は良い機会と思って、脳みそをシャッフルするようにして、また新しいものが生まれるように練りこんでいきたいものです。

その結果どうなっていくのか、今後の展開が待たれるところです☆