足並みをそろえる

 

たとえば、仲間の何人かのうちで「山に行こう!」、「どの山にする?」、「いつ行く?」みたいな会話がにわかに盛り上がったとして、しかし、そのうちのひとりかふたりが「自分は山でなく、海に行きたいんだが・・・」と言うこともあるでしょう。

この「海に行きたい」側が、何となく我慢して「山」に行くよりかは、その前に正直のモノ申しているのは賞賛できると思いますが、こういう行き違いみたいなことは、どのようにして起こってしまうのでしょうか。

今回は、それについて少し考えを巡らしていきたいと思いますが、いきなり少し異なった観点から切り込んでみると、自分がそうしてほしいのなら、先に相手にそうする方が良いという発想があります。

今回のことで言えば、自分の意見を聞いてもらいたかったら(山に行きたい)、相手の意見を引き出して(海に行きたい)、先にたっぷり聞くようにした方が良いという感じです。

あるいは、相手がどのような角度から物事を考えているかによって、自分の主張は変わらなくてもどのように伝えるのか、その伝え方を工夫していく必要があるかもしれません。

それが、説得するとか同意を求めるようなこと(山に行きたい)であれば、より一層配慮すべきことのように思うのですが、そこに思い至らないで、だいぶ一方的に言われるのは随分と不思議な心地がするものです。

その心地はおそらく、自分の趣味=好きなことが"けん玉をすること"だとして、それを聞き出されることなく"散歩"をどうして熱心にしないのかを、(だいぶ一方的に)言われることを想像してみるとわかりやすいのかなと思います。

趣味=好きなことを直接聞かれてもいないのに、しかも、興味があるのかどうか判別しにくいことについて滔々と語られてもなーと、内心思うことでしょう。

ここまで極端にいかないまでにせよ、何かを目指すとか、今何をしようとか、どんなことにしてもそうですが、相手と自分が、立場・意見のようなところで同じようなところにいるのかどうか、それをまずもっては確認した方が良いわけです。

自分の主張や我を通すばかりでなく、それが大人数であれば一層大切なことで、その必要性をわかっていても、実際に足並みをそろえるというのは大変なことなのだなと思います。

本当は、こういう本質的なことから掘り下げていく方が、遠回りのようで実は早いというのはあるのですが、そういうことをモノ申せるかどうかが、まずもって自分の中では重要になってきます☆