いつもと異なる

 

いつも見慣れた風景、いつもと同じような行動、それが安心することでもあるので、わざわざ変化を加えようとは思いにくいものです。

そこにいささかの疑問もなく、それが今の最善と思うのであれば構わないわけですが、もしも何か物足りなさや違和感を感じるようであれば、何かしらでもほんの少し変えてみるというのが良いのではないでしょうか。

それも逸脱ということでなく、選択の仕方を変えてみるくらいでも十分に変化を感じることができるでしょう。

移動の場合で、電車やバスを利用しているのであれば、それをタクシーにしてみるでも構わないし、お昼ごはんは弁当でなく外に食べにいくでも良いわけです。

身近なところでは、何を食べるのかとか、休日に何をするのかということになるでしょうし、もう少し大掛かりになれば、生活を変えることが含まれていきます。

生活にしても、普段の小さな積み重ねで成り立っているものなので、劇的に変えるばかりでなく、できることからでも変えていくこともできるはずです。

それが大きくなって、引越しであるとか、海外に拠点を移すような重大な決断にしても、自分でしようと思えばすることになるし、何も思わなければそのまま変わらないだけのことです。

日頃から、しても良いししなくても構わないようなことを頭に思い浮かべて、そのそれぞれを選ぶとどうなるのかをシミュレーションしてみるだけでも、自分の行動や考え方に刺激があることでしょう。

そうやって、自分の今の状態が続く道のりと、そうでない道のりがあることを知ることができますし、どちらにも行けるということもまた知ることになるわけです。

いつも正解はひとつだけあるようなものでなく、どのような回答を選ぶかによって正解の出方が異なるような感覚なのでしょう。

普段のちょっとしたことにきっかけはあるもので、コーヒーを飲みたいのか、お茶を飲みたいのか、思っていることを意志として言うのか言わないのかのことに似ている気がします。

どちらもノドを潤すことができるわけで、どちらかを選んだからもう一方はダメであるようなことではないのです。

こういう感覚の元、自分がどうしていきたいのか、あるいは、どちらかを選ぶような場合にどちらをより好むのか、自分の素直な声にしっかりと耳を傾けるようでありたいものです☆