たくさんあることの蓋然性

 

先日、Tシャツのデザインでバナナが並んでいるものがあって、

このアイディアは、今まで見たことはないものだなと思い、

手に入れようかと思うほどに、結構強く印象に残りました。

 

そこでは、胸元に四角くあるようにプリントされているので、

少し遠目には、黄色く一面にデザインがあるけれど、

細かくは何があるんだろうと思うようなものです。

 

バナナの持つ、日頃親しんでいる特性(キャラクター)と、

それに伴う黄色の鮮やかさやイメージがあって、

シンプルだけど力強いものに仕上がっていました。

 

これがバナナだから興味深く思うのであって、

近くで見ても、それほど嫌悪するようなものではないですが、

人は、同じ(細かい)ものがひしめきあっているものは、

本能的に、恐怖を覚えるようになっているのがあります。

 

小さな虫が、文字通り"蠢いて"いるようなのでは、

得も言われぬ感情が湧き起こってきてしまいます。

 

ゴキブリ、昆虫、フジツボはそういうものであるので、

できれば、あまりお近づきにならないで済ませたいものです。

 

それはさておいても、いくつか複数あることや、

もっと多くの、たくさんあるような状態というものは、

それ自体、結構迫力をもたらすものです。

 

そして、たくさんあるということの量的なことのみならず、

そこにどういうものが集まっているのかという、

質という観点からも考えることができそうです。

 

同じものを、できるだけ同じように集める場合では、

バナナでは、基本的には黄色いものだけが好ましく、

ここに緑のものが混じっていると、そこが違和感を感じさせますし、

ある意味では、緑のバナナに注目が行ってしまいます。

 

あるいは、黄色だろうが緑だろうがバナナで良いのであれば、

そこでは"バナナであること"が優先されているわけで、

バナナが多いのと、黄色いバナナが多いのでは、

実態として、似て非なることになるわけですね。

 

そんなことを考えていくと、特に取り上げずとも、

同質・異質のどちらが良いということの、

絶対的な判断の基準はなくて、あくまで相対的な、

その時それぞれの価値判断や優先順位によるもので、

そこまで突き詰める必要はないかもしれません。

 

ただ、こだわるがゆえの理由や背景があるのだとしたら、

そこを知っておくというのは、他の場合でも有効かなと思います。

 

それにしても、バナナひとつにしても、

いろいろと発想が広がることに驚く限りです☆