刻み込むように打つ

 

自分自身、記憶力はさほど良いようには思いませんが、

多くのことを把握したいという心がけがあるので、

いかにそれを推し進めるのかということに腐心しております。

 

どうにかこうにか、メモをするとか、関連づけるとか、

方法や手段ということでは、いくつも有効なものがあると思います。

 

しかし、時間が経っていたり、関わりが少なかったりすると、

しっかりとは記憶に定着していないと感じることもあります。

 

回数や頻度の問題もありますし、興味・関心があるのかどうか、

どれだけ自分にとって必要なのかというのはあることでしょう。

 

そして、この世の広く深い物事の範囲において、

実際に、知っていてわかっていることと言えば、

まさに氷山の一角ということでしかないわけで、

自分の知識と比べてしまえば暗澹たる気持ちにもなるものです。

 

ただ、すべてを知りようもないし、

わかりようがないということがはっきりとすれば、

次には、どうしたらそれを知り得るのかという、

ある種のコツを知っておきことが大切になってきます。

 

たとえば、ある言葉がわからないような時に、

しっかり覚えて、引き出せているというのが最も良いわけですが、

辞書を引いて該当のものを調べられることもまた大切で、

そこでは、辞書の引き方を覚えている、知っていることで、

問題に対処できているということになります。

 

つまりは、知るためのアクセスの仕方を知っていることで、

地図の見方、インターネットでの検索の仕方など、

同じようにして、情報に行き当たることができます。

 

また、インターネットの膨大な情報の溢れる中において、

物事の真偽を見極められることも同時に必要なのであって、

あくまで、調べるのは手段であって、

何を目的としているか、それは自覚しておいたほうが良いでしょう。

 

自分自身は、日本語話者で英語が話せると良いなというような、

憧れなのか、必要に迫られてなのか、趣味なのかの感覚はありますが、

そこでは、英単語を多く覚えている・知っていることが良いのではなく、

物事の理屈を、英語を用いて表せるかということが大切になってきます。

 

多くの物事を知っているからといって、

薀蓄や講釈を垂れたいわけでもないので、

そういう目的と手段みたいなところの、

境目は分けておくのが良さそうですね☆