ついぞ取り上げず

 

いろいろなことを解き明かそうとして、あるいは、いろいろなことを取り上げようとして、日々あれこれと綴っているわけですが、手元にあるものすべてがその対象というわけでもないものです。

まだ時期尚早であるとか、どうにも不備不足があるとかいう理由の他に、自分の手元にあるままのものも結構多い気がします。

これは、本当に有益であろう情報は、その人それぞれに直接尋ねるしかないことの表れでもあるのですが、何が何でも明らかにすれば良いというわけでもない、そんな配慮の一端でもあるわけです。

そういうことのひとつを、自分なりに定めて、実際に試してみたり、補強するように見聞きしたりして追求しているものがあります。

このように、最初から"このこと"と一定の枠組みで見ている場合とそうでない場合、何も設けずともそれなくわかってくることもあるかもしれません。

それでも、やはりあらかじめ自分は何を知ろうとしているのか、すでに何をどれくらい知っているのかを知らないでいては、得るものは少し減ってしまうように思います。

知るべきことを知っていると、これは「話が早い」ということで、そこから先に続くことも察知できるし、他の人にも伝えやすくなっているはずです。

そして、そういうことはわざわざ言うことでもないし、言ってもらえるものでもない、自分で気づくか、気づく機会を得るしかないというのが本当のところである気がします。

それをわからないで、自分のところに侵食してくるようでは、結構つらいものがあります。

はねのけるわけではないけれど受け入れない、どうしてもそういう態度でもって処することになってしまいます。

どうにも親切/不親切といった切り口にもなりかねないもので、歯がゆさもまたあるものです。

これは、必ずしも長く生きているからわかることでもないし、多くの人に会っているからわかるようなことでもないというのが、ひとつ興味深いことでもあります。

なるほど、その人なりに知るタイミングや機会というものもあるでしょうし、自分が知りたいと思っているかどうかというのも、それとなく関係してくるのでしょう。

今回の"このこと"が何のことであるのか、ついぞ明らかにしないわけですが、今後も自分において知っていくことですし、実際の場面で大いに役立てていきたいものです☆