通り過ぎるように

 

人の出会いは「一期一会」と言うように、いつどのように出会うのか、その後の行方を左右する意味においても、かなり重要であるように思います。

今は、どちらかというと"最初の出会いのきっかけ"のような意味合いが多く含まれているように思いますが、本来の意味合いとしては"その時々の出会いは、その時々限りのものである"となっています。

つまり、出会い自体、最初も最後もなくて、毎回の出会いがただ貴重であるということになります。

お互いに気が合って「また次も会いましょう」となればまた会えば良いわけですし、そうでなければ会うことがないだけで、それ以上何を憂う必要もないわけです。

無理に引き延ばすこともしないし、だからといって突き放すわけでもない、今後どうなるのかよりも、今がどうであるかに意識を傾けるのがうんと良さそうです。

そういうことも踏まえて、出会いのとらえ方として順当なのはどういうことなのかを考えていくと、どうやら「来る者拒まず、去る者追わず」がそれにあてはまるのだなと(今は)思っています。

どうにか関係を成り立たせようと必死になるより、肩の力を抜いて接してみるのが、かえって長くとか深くとか、より良い関係になるのかもしれません。

どうにも不思議なことで、力まない方が上手にコトが進むということが世の中には多くあるようです。

むしろそれが本当なのかなと思いますが、これについては機会を改めて突き詰めたい観点でもあります。

こと出会いに関しては、自分だって、誰かの前に立つこともあれば、立ち止まることなく通り過ぎるだけのこともあるでしょう。

それを引き留められたところで「うーん」となってしまいますし、やり過ごされたからといって憤るのも妙な具合になってしまいます。

これが身について、あるがままに振る舞っていると、過度に固執していないがゆえに、どうもとらえどころがないようにもなるかもしれません。

あるいは、どうでも良いと言ってしまえば語弊があるかもしれませんが、出たとこ勝負のところが多分にあって、前もってどうこうすることでもないような気がします。

自分においては、だいぶサッパリしているし、一人でいることがそれほど苦ではないということもあるのでしょう。

基本的には、川の流れのようにサラサラと流れているだけのこと、滞りがないというのであれば、それは良い方に向かっているというだけのことなのです☆