ないわけではない

 

特にやることも書くこともないなと思うことがありますが、まったくないのかと言えばそんなこともないなと(その途端に、ほとんど即座に)思い直すことも多いものです。

いつも何かを見聞きしているはずですし、たとえ強く意識していなくても何かしらを感じているはずなので、そういう少しずつのものをかき集めるということが大切です。

それがひとつの予定として、ひとつの文章としてカタチになるかどうかはわからなくても、試してみるだけの価値はあると思います。

これを、文章を書くことに焦点を当てていくと、音楽を奏でたり、絵を描いたりすることに似ている部分もあるのかなという気がします。

ピアノの鍵盤を目の前にして、どれでもひとつ指で押さえれば音が出るように、あるいは、紙に線を走らせれば図形や模様になるように、何かをやればそれなりの成果につながっていくものです。

それが、ひとつの旋律となったり、ひとつのまとまりになったりしていくのだから、文章にしても、最初は単語のひとつふたつかもしれませんが、書き出してみることではじまっていくということはあるでしょう。

これが「全360巻からなる、一大叙事詩を仕上げるのだ」と思うと、出だしから相当気負うことになるので、もっと気楽に、鼻歌混じりで軽くスケッチをするような感覚でいる方が良い気がします。

また、書くから書きたいことが出てくる、出てくるから書きたくなるというような、そういう相互に良い影響を与えるというような話を知って、「確かに、そういうことはあるよな」と思いました。

思考や感情を自分の中に溜め込まない、それが誰かに話すことで解消できるのならそれもまた良いことですし、そうでないのなら"つぶやき"ついでに吐き出していくことが良いと思います。

このイメージとしては、"来たら受け止めて、そして、放す"、そうすることで大きな"流れ"に乗ることができます。

または、繰り返していくうちに、そういう循環のうちに自分自身がいることになるので、息を吸ったら吐くように繰り返し続いていくことになります。

そこまでになれば、自然と文章がカタチを成していくように思うので、ここを目指さない手はありません。

細かく見てみれば、時期ごとの興味や関心も移り変わっていきますし、身の回りの状況も刻一刻と変わっていっていることもあって、その時にしか出てこない言葉や発想というものが必ずやあるはずです。

そういうものをいくらかでもすくっておくと、その時々のことを思い出すキッカケにもなるものです☆