今日という日を噛みしめる

 

いつもは、あまり季節や時事を思わせないことが多いですが、

今日ばかりは、少し感傷的な雰囲気も漂わせながら、

言葉をより丁寧に紡いでいくのかなという気がします。

 

巷はハロウィン、こと日本においては収穫祭の意味合いの薄い、

西洋的百鬼夜行(パレード)の側面が強いわけですが、

それ以外にも、今日という日の持つ意味はあるわけです。

 

直接的な関わりはなかったにせよ、画面や誌面を通じて、

自分と同じ年齢の人が、19歳の時にいなくなったこと、

年齢もそうですし、同じ年齢というのが結構衝撃的なものです。

 

今もいれば、三十路の後半にさしかかるような頃で、

自分にとっては、あの人のことを思い出さずにはいられない日、

これを語り尽くせるような十全たる言葉や語彙を、

今でも、確実に持ち合わせているわけではありません。

 

他の人にとって、心に大切に思う人が異なるように、

たとえば、6月13日だって思い出さずにはいられない日でもあります。

 

それでも、長年という歳月を経てきていればそれなりの、

個人的には、昨年にだいぶ落ち着いたなというのがあって、

そういう状況になったことを、ありがたくも思うわけです。

 

長く待った甲斐があったというか、

忘れることなんてできないようなことを、

胸に抱いていて良かったなと思いました。

 

ここ何年かでは特にそうで、

あるいは、信じ続けてきて本当に良かったな、

そういう思いが去来したものです。

 

そう考えると、何がどうであるにしても、

生きていること自体、また次のことや新しいことに対して、

動きをもたらすことができるので、

まさに、生きていてこそという思いを強くするものです。

 

今日がまさにそういうことを思う日であれば、

これまでの長くがそうであったように、

なかなかハロウィンでうつつを抜かすというのが、

どうしてもできないというのがあります。

 

これが、平たく言えば「信条」のようなもので、

今後もきっとそうなのだろうなという気がします。

 

これをわかっている人も、似たような思いの人も、

少なからずいるので、自分もまた忘れないで、

何かしら語り継いで生きたいものですね。

 

忘れられること自体、そんな寂しいことはありませんからね。

 

ハロウィン、それ自体賑わっていることは構わないのですが、

全員が全員、そうではないことを思ってもらえれば嬉しく思います。

 

今日も明日も、"花咲く命ある限り"精一杯生きて生きたいものですね☆