誰でも良くてそうでもない

 

だいぶ以前に、テレビを見ていてあったのですが、

「うっかり口にして失敗した」ようなテーマの時に、

たとえば、女性と口づけをしようとした男性が、

「本当に、アタシで良いの?」と女性から聞かれて、

「誰でも良いわけないじゃないか」と答えようとして、

しかし、緊張のあまり「誰でも良いよ」と端折ってしまい、

ロマンティックな雰囲気が云々というのがありました。

 

確かに、目の前の「あなた」こそが大切ではあるけれど、

果たしてそれを、盲目的に首肯はできないなとも思いました。

 

その後も、いろいろと見聞きして見識を広げているうちに、

これはかなり示唆に富む事柄であるように、

年齢を重ねるごとに、考えを深めるようになりました。

 

人間の三大欲求とは"食欲"、"睡眠欲"、"性欲"と、

それをいかに満たすかが、いかに生きるかにつながるとも考えられ、

日々、個人それぞれに取り組んでいることでしょう。

 

これらを、直結はしないけれど生存に必要なことで、

言葉を置き換えると、"何でも食べられ"、"どこでも寝られ"、

そして、"誰とでも仲良くなれる"ということになるのではないかと、

妥当かどうかはさておき、密かに考察を進めているわけです。

 

こういう力がある方が、日頃でもそうですし、

いざという時にも生き延びる可能性が高くなるのが、

本能的に備わっているように思います。

 

ただ、特に恋愛だとか結婚ということで取り上げると、

感覚的には、異性の誰とでも仲良くなれる方が、

深い関係になる確率や機会が多くなることが考えられますが、

もっと人間的と言いますか、文化的・社会的には、

日本では一夫一妻制ですから、ひとりを選ぶのが適切です。

 

そういった、大勢と仲良くなれる力と、個人と親密になる力の、

少し方向の異なる能力を同時に涵養しなければいけなくて、

それが、人間的資質の向上にも繋がるように思います。

 

あるいは、「君だけに決まっているじゃないか」ということで、

逆もまたしかり、自分のことも大切に思ってもらえることになるので、

他に代え難い「安心」が得られるようにもなるでしょう。

 

自分自身も、出だしの質問をされた時に、

緊張をすることなく、「君だけだよ」と言えるように、

これまた日頃の訓練を積んでおきたいところです☆