自分の主観、自分の頭で考えながら自分の目で見ていると、目に映るもの、視界に入ってくるものに対してあれこれ意見を持ったり、注文をつけたくなったりすることでしょう。
これについて、もっと考えや思いを広げていかないと、どうして、自分の身の回りは今のようであるのか、時として不平や不満につながっていくかもしれません。
これは、知ってか知らずか自分の見たいように物事を見ているし、場合によっては、自分の望むものがただ目の前に現れているということが言えるわけです。
もう少しシンプルに考えてみると、楽しそうにしている人は楽しそうにしているがゆえに、何を見ても楽しい、何をしていても楽しいことになっています。
その"楽しい"という状態に行こうとして、実際にはその中にいるからさらに"楽しい"ことが訪れるということになっていきます。
また、"楽しい"こととは、それは自分の主観でとらえるもののため、決して数値で測れるようなものでなく、そう思えばそうであるとしか言えない気がします。
少なくとも自分にとって楽しいと思うとか、楽しいとしか思わないようにすることで、誰と比較することもないし、他のこととの優劣を見ても仕方がないものです。
これと前後するようにして、自分が楽しい方向かそうでない方向か見ていると同時に、どういう状況に自分自身が囲まれているかを知ることも大切かもしれません。
これも、自分が何を思うかに関係してくるし、それは何を思っているから実際がどうなっているかに関わってくるわけです。
もしも自分の身の回りであまり変化がないようであれば、それはあなた自身が何も変えようとしていないのではないか、変化をもたらすようなことを何もしていないと考えていくべきではないでしょうか。
何も思わないようであっても、きっと身の回りのことも時間の過ぎ方も、随分と平坦なままで成り立っているのでしょう。
中立的というか、ただ物事はあるだけですし、時間もただ同じように刻んでいるだけのように思います。
これは、あくまで自分自身がどのようにして、この今に関わっていくのか、その心構えや態度を含む姿勢ということになるのでしょう。
何を望むのかはあなた次第、そして、どのようにしていきたいのか行動につなげるのもあなた次第、つまりはそういうことなのかもしれません☆