光の反射するように

 

自分の普段の行いがどうであるのか、個人において省みる人は多いのでしょうか、少ないのでしょうか。

これがまた、個人においてだけでなく、地域や国家のような規模の集団においてどうであるか、それを考えるところまで行き着く人はきっと少ないように思います。

これは、品行方正が好ましいということもありますが、自分の普段の行いがどのような影響を及ぼすのかについて想像を巡らしてみることも、時に多くの気づきがあるのではないかということを言いたいわけです。

自分においても完璧ではないことを自覚しながら、外に出かければなかなか眉をひそめてしまうとか、それってどうなのと思う言動をする人をそれなりに見かけるものです。

自分の埒外にあるような場合では、腫れ物に触るようにどころか、一切関与しないように忌避するわけですが、これがあまりに多いようでは集団としてのモラル(倫理)が破綻してしまうようで、それはまた避けておきたい事柄です。

たとえば、それはまだ発達段階にある子どもたち若者たちにも無関係ではなく、価値判断において脆弱な傾向にあるだけに、むしろ多大な影響を受けてしまうように思います。

そこに責任を多く求めるわけではなく、今の大人のつくった社会や生活の反映が、子どもたちや若者に現れているわけで、大人たちがあまりにもそこに無自覚でいるというのは、どうにかして戒めておきたいものです。

生物学的に自分の子どもというだけでなく、次の世代に向けて何を残せるのか、また、何を引き継げるのかというのは、何かの機会を設けて声高に何かを教え諭すようなことではない気がします。

それよりも普段の立ち居振る舞いをどうしていくのか、そこに注力するのが良いような気がします。

ゴミを道端に捨てない、人の迷惑となるようなことをしないなど、細かく挙げればキリがないわけですが、自分のされて困ることは誰に対してもするものではないことは自明であるように思います。

自分がどういう立場の人であろうとも、良いこともそうでないことも結構見られていますよと、そっと耳打ちしたい気分でいます。

自分の利益ばかり追っているようではかえって大きなものは巡っては来ないものですし、経済的な景気や国家の機運みたいなところも、こういうひとりひとりの言動が関わっているように思います。

たとえそうでないとしても、丁寧に生きていくというのはひとつのモラル(倫理)ある姿勢であるように思うものです☆