折衷案を採る

 

「ありがとう」という言葉は良い言葉だから、たくさん言うと良い、良いことが多くありますよというとらえ方があります。

言えば言うほどに良くなるのであれば、言わないよりかは言った方が断然良い、そのように思ってできるだけ多く言うようにしていました。

ただ、これには考え方の"からくり"があるようで、たくさん言っているだけでは心からのありがたみが薄れてしまうだけに、数はむしろ少なく、心からの「ありがとう」を言うようにしましょうという意見がありました。

なるほど、先に「ありがとう」と言うことで次第に心を伴わせるというよりかは、心から湧き上がってこそ「ありがとう」と言うのが良いということなのでしょう。

この、どちらの理にかなっているように思いますし、個人的には気持ちや心がそれほどでなくても、実際に「ありがとう」を言うのに勝るものはないなという気がしています。

この、たくさん言うのか、心を大切にするのかということで、どこか二者択一の様相を呈してくるように思ってしまいます。

どちらも選べないというのを優柔不断としたくないために、どうしたら良いのか、こういうのを欲張ってみるもので、両者の良いところを抜き出してしまうのが良いように思います。

きっと先に「ありがとう」を言うのは、たくさん言っているうちに心がそれに伴ってくるわけで、少しずつでも心を込めていくようでなければいけないわけです。

ただ言うのみにあらず、言っていくうちに心からのありがたみが湧き上がってくる、そのためには何回も言うしかないといった具合でしょう。

イメージとしては硬いものをゆらゆら揺らして、多く長く揺らしていくうちに柔らかくなってくるようなことかもしれません。

また、心を込めて「ありがとう」という場合には、普段の何割か増し、だいぶ誇張するくらいで良いのかもしれません。

それだけ念入りに気持ちが入っている「ありがとう」は、相手にもしっかり届くであろうから良いように思います。

この発想自体、カツを食べたい、ごはんも食べたいと言っているうちに「カツ丼」にすれば解決するようなことで、それほど無理があるわけではないはずです。

「ありがとう」は多く言う、言うにしても心伴わせ気持ち込める、それを成り立たせながら今後も実践を続けていきたいものです☆