共に乗るように進む

 

誰かと人生を一緒に歩むというのは、

共にバスに乗るような感覚に近く、

出会いと別れを繰り返すようにして、

ほんの一時期だけなのか、終着地点まで行くのか、

ある一定の期間を隣り合って過ごすものです。

 

それが、仕事なのか生活なのかという差異はあれど、

個人それぞれが自分の人生というバスのハンドルを握るでも良いし、

もっと大きな、運命共同体みたいな大型バスに、

ほとんど偶然に乗り合わせるようなイメージでも良いでしょう。

 

以前、このバスに乗り合わせることになぞらえて、

人生だとか活動とかを的確に説明しているのを目の当たりにして、

比喩として、上手に言い表すものだなと思ったことがあります。

 

また、「運命」が文字通り"命を運ぶ"ものであれば、

それがどこからどこまでなのかは、個人それぞれで構いませんが、

バスに乗って、どこかに連れていかれているというのが、

容易に想像できる点で、とても印象的だなと思っています。

 

人数においても、大人数で賑やかに集まるのでも良いし、

少数でも、極めて親密に語り合うのでも良さそうです。

それもまた、人それぞれに思い描くもので構わないもので、

どのような大きさのバスで、どこまで行くのか、

望むものがあれば、ありありと思い描いておくと良いものですね。

 

ただ、誰と乗り合わせるのかにおいては、

お互いの気持ちや行動のタイミングはあって、

いくら誘っても乗ってこないこともあれば、

身軽に乗ってきて、そのまま意気投合ということもあって、

導かれるままに従うのも、醍醐味のひとつではないでしょうか。

 

そうして、乗りたい/乗りたくないの関係において、

目の前を通り過ぎるだけの人はそれまでの関係であって、

意識や気持ちにおいても、すっと通り過ぎるだけです。

 

何かのきっかけで誰かが降りて、別れるにしても、

特段、惜別のクラクションを鳴らすわけでもないし、

窓から乗り出して、手を振るくらいはするかもしれません。

 

もしも自分のバスに一緒に乗るようであれば、

座席を用意したり、お茶を出してもてなしたりして、

歓迎の意を表することになるでしょう。

 

BGMは、結構充実しておきたいのは、

ひっそり願望としてはあるので、

準備に抜かりのないようにしておきます。

 

そうして、どういう人を乗せたいのか、どういう人と乗りたいのか、

多く出会いを繰り返しながら、明らかにしていきたいものですね☆