刃を研ぎ澄ます

 

先日、日本刀の刃振り(実物)を見る機会があって、

江戸時代までは基本、武士は刀を持っていて、

時に、斬った斬られた場面が、日頃生じていたわけです。

 

本来、「真剣勝負」という言葉が表すのは、

刀を交じり合わせ、勝負の決着がつくだけでなく、

生き残るかどうかという決着さえも含む、

かなり壮絶な意味を含んでいるわけですね。

 

そんなことを思いながら、実物を目の前にしていると、

刀の美しさと、その壮絶さを重ね合わせて、

戦慄するのはもちろんのこと、

さまざまに思いが巡っていました。

 

少し余談ですが、刀が最も美しくなるのは、

最も人を殺傷できる能力を持っている時で、

美しさは、時に残酷さを含んでいる、

その背反する要素が明らかになるものです。

 

こういうのを所持しているだけで、

生死の境界線に立つような気持ちで、

まさに身も心も「凛」とすることでしょう。

 

このように、実物を持つことから派生して、

人知れず、技術を磨いていくように、

日々鍛錬をする様子を表すことがあります。

 

できないことをできるようにしたり、

できることを、より高次に持っていこうとしたり、

できないよりかはできるようにしていくものです。

 

また、できてそれをひけらかさないことと、

できないから、ひけらかすこともできないのでは、

似て非なることの、顕著な例のひとつだなと思います。

 

普段、目の前のことで、取り組んでいることのそれぞれ、

刀を研いでいくように、精神や技術を磨いていきたいものです☆