動いて保つこと

 

自分でじっくり考えるとか、何かを調べるような時間を持つことはそれで有意義なことかとも思います。

腰を据えてやらないことには身につかない技能や知識というものはあって、勢いだけではどうにもならないことは多いものです。

そうして、手持ちの知っていることやできることを増やして、自分の領分を広げていくことが大切でしょう。

その一方で、実際に行動を起こすとか、誰かに会うようなことも大切で、そうでないと物事が進まないことがあります。

何か明確なものがあってそれに向かうのでも良いし、とにかく目の前のことをやっているうちに予期せぬ出会いがあるなんてこともあるでしょう。

自分自身はどうにも、あらかじめ計画があってそれに沿って進めていく方が無理がないなと思う性分で、"よくわからないもの"に対しては態度を保留する傾向が強いものです。

ただ、どうにかなるかわからない時に踏み込めるかどうか、視界が必ずしも良くないところで前に進めるのか、これはきっと度量の大きさであるような気がします。

そして、そういう時に巡り合ったものが貴重なもので、だから実際に物事は動くし、より興味深いものになっていくということが言えそうです。

自分の枠組みで考えるということは、その大きさに関係なく、ある意味では限られた範囲に収まってしまうことでもあるかもしれません。

突拍子もないようなことでも、他の人にとってみれば特筆すべきことでないように、どれくらい妥当かというのは状況によりけりということも多々ありそうです。

ゴチャゴチャゴチャ〜とよくわからないように動いて考えてやっていくうちに、それなりの傾向や特徴は出てくるでしょうから、あらかじめこうしようというのは手放していくのが良いかもしれません。

見たり聞いたりすることの多くを自分の中に取り入れると同時に、誰かにまた伝えていく、そういうことを通じて、自分自身の風通しを良くしていくのが今できることのひとつである気がします。

わかってはいるけれどできてはいない、ならばできるようにしていけば、そこかしこで何らかの変化はあることでしょう。

少しずつ試しては直していき、何だかこんなところまで来てしまったというような、そういう感想を持っていきたいものです☆