時に沈黙を保つ

 

思いつくことのあれこれを行動に起こしたり、誰かに伝えたりすることは大切なことかと思います。

それと同時に「言わぬが花」ということもあって、何でも明け透けにするから良いというものでもないものです。

自分の中でどうにも整理しきれないことや、いくらか見極める必要があることは、時間の経過をどうしても待たないといけないわけです。

これも程度の問題で、どれくらいとかいつくらいとか言えないものですが、それなりにかかるということでしか言い表せないものでしょう。

それでも、他のことをあくせくとやっているうちに手がかりが得られるかもしれないし、あるいは、異なる方向に打開しているかもしれません。

何となくこれからは次第に暖かくなっていくという時期にさしかかり、やはり寒い時期というのは、普段と変わらないようにしているつもりでもそれなりに縮こまっていたのだなと思います。

こういうことは、渦中にいるとわからないことで、振り返ってみてそういうことだったのかと、後から確認するしかない気がします。

ただ、そういう時期を経て次はどうしていくのか、それにあたっては伸び伸びと発想を繰り広げていくのが楽しさを倍増させるものです。

仕切り直しということもありますが、どうにもならないときにはじっとしておくに限るわけで、何だかんだと沈黙を保つのも大切です。

ある意味では、ぐっと屈み込むから高く飛び上がれるように、反動を意識してみるとその効果はより大きくなるかもしれません。

自分自身で杳として知れなくて、切り口鮮やかな物言いができない場合、いくらか不安に思うこともあるでしょう。

慌てず騒がず、そういう流れのうちにあるものだとして、やたらと逆らうことのないようにしていくのが良いのだと、今の時期ならばそう言うことができます。

いつの時も何かしら取り組む課題はあるし、頭をもたげる事柄もあるものです。

少しずつ解消していったり、行きつ戻りつ様子を見たりすることもあるでしょうが、その先の楽しいことや期待したいことを見失わないようにしていきたいものです。

すべてが思い通りにはならないかもしれないけれど、その思い通りにならないこと自体は思い通りになっているので、案外思い通りになると強く思っていれば、事実そうなっていくかもしれません。

これからの自分自身、大いに期待をかけていく次第です☆