どう定めていくか

 

基本的には自分の意志で取り組むとか、何かを選ぶということはありますが、それだけではどうにもならないこともそれなりに多くあるものです。

たとえば、この学校で学びたい、この仕事に就きたいと思っても、何らかの試験や手順を踏んでいかないとできないこともありますし、それ以外の要因で阻まれるということもあるでしょう。

天変地異だとか自身の健康状態だとか予期せぬこともあるでしょうし、突如として考えの向きが変わるようなことだってあるはずです。

そうなると、今がそうだからずっとそうであるとも限らないし、いつどこでどうなるかというのも結構不如意なものなのかなという気がしてきます。

極意としては、少しくらいの移り変わりなど気にせずに、ひたすら流れに任せるというのがあると思います。

無理に流れに逆らおうとするから疲弊してしまうものですし、思い通りにならないことばかりではいちいち憂いてしまうことでしょう。

何も思わなければ何を思うこともない、それはいたってシンプルなもので、それでもこの境地に行くにはまだまだ修練が必要だなと思う今日この頃です。

そういうことを強く思って根底に敷きながらも、何に通じるかはわからないまでも少しずつ生活を良くしていこう、自分自身を向上させていこうという気持ちを持とうとしています。

ともすれば相反するようなことを上手に両立できると良いもので、限りはあるけれど今のところ限りがないという状態に決着をつけることができそうです。

何につけ、どうにも明らかにできないし、明らかにしないことばかりが目につくと、途端に息苦しさを感じてしまうものです。

こういうことは別に溜め込みはしないけれど、誰に言ったところで即座にわかるようなものでもないので、それこそ時の流れに身を任せておくのが良いと言えそうです。

今のところできることは、目の前のことに取り組むと同時に、少し離れた先に何を思うのか、途中はカッコでくくるようにして省略しておくことかなと思います。

願いを持つとすれば、もう少しふんわりしたところで「お腹がよじれるほどに大笑いしたい」と思っているのが楽しいところでしょう。

きっとこのように思うこと自体、いささかの窮屈さやどうにもならなさを持っているのかな、そう自覚しているだけ冷静に見れているのかもしれません。

面白いことのひとつふたつ、日々身の回りで見つけていきましょう☆