可能性を開花するために

 

条件的に見て、十分に素質や可能性が感じられるのに、今はそうでない場合があります。

時期尚早とか、それに気づいていないとか、いくつも理由はあるでしょうが、それにしても"今はそうでない=潜在的な可能性"を開花させないなんて、そういうことがあるのでしょうか。

目には見えないとか、今はそうでない、極めて"潜在的"であるがゆえに、それを看過してしまっているのかもしれません。

ないものは、この先もないと思うのか、そもそもあると考えようともしないのか定かではありませんが、どちらにしても今あるものや、かつてあったものばかりに気がとらわれてしまっているに思います。

そういうことでは、この"潜在的"というのは、見えるかどうか、あるのかないのかという視点だけでなく、これからの未来に対して、想像力をたくましく働かせられるかの試金石(のようなもの)なのかもしれません。

知っていることとわかっていることが異なるように、できるかどうかも結構大きな開きがあるように思います。

これがまた興味深いもので、知っているからできるとも限らなく、本当にわかっているのであれば、すでにか同時にかでしっかりとできているはずでしょう。

あるいは、具体的に何ができるかはわからないけれど、必死に取り組むことで何らかかできるようになりたい、そういう願望がそもそもあるのかという問題にもつながっていきそうです。

今まで通りでかまわないとか、これくらいで良いかという発想でもって、さらなる度量を身につけるとか、より上手にしようとか思いもしないということなのでしょうか。

そういう思考であるのならば、これまでの延長で、長く延びるというよりかは、単に猶予を先延ばしにしているだけのように思います。

せっかくですから、自分の中の深いところまで切り込んでみたり、この先の展開においてより興味深くあるように願ったりして、時間においても能力においても、今までとは異なりながら、より広がるようでありたいものです。

だいたいこういうものは自分の埒外にあるものなので、そこに思いをそこはかとなくでも馳せることができるのか、この構えがあるかどうかは大切なように思います。

他の人はそれぞれの領分で行うしかないものですが、せめて自分個人においては、自分はもっとできるはずだと言い聞かせ、これまで積み重ねてきたものを大切にしながらより高みを目指すようにして、日頃から鼓舞していくのが良いでしょう☆