届けるために必要なこと

 

たとえば、自分のつくった料理を誰かが食べて、率直に「おいしい」と言ってもらった場合、その言ってもらって嬉しく思った気持ちは、ずっと忘れてはいけないと思います。

それは、誰かに愛を告げて受け入れられることに似ているのでしょうか、自分の発した言葉や行為があって、相手の好意的な反応が返ってくることの喜びは、何にも代えがたいものかもしれません。

普段の生活においても、自分の気持ちを素直に伝えたり、思う通りに行動したりすることはあると思います。

そういう素直さや実直さは良いものですが、その一方で、しかるべきマナーやルールはあるものです。

今日は暑いから何も着ないで過ごそうとか、お腹が空いたからといって店先にあるパンを取って食べるようなことはしないように、相応の「節度」は保っておく必要があります。

誰かに迷惑をかける向きでなく、多くの人それぞれに喜びの多いようにしていくのが、発想のひとつとして持っておくと良いものです。

それがまた、その時はそうでなくても、後々にはかえって自分のためになるということも考えられます。

自分自身においては、日頃の思うこと・感じることを文章にして書き連ねていくことが、趣味というか、取り組んでいくことのひとつとしてあります。

ひたすら言葉を並べていくような時に、少なくとも自分自身に意味が通ればそれで構わないわけですが、誰か奇特な人が目を通すようであっても、何かしら届くことがあってほしいし、それなりに有用であってほしいとも思っています。

読む手間も時間もかかることですし、せっかくであれば「読んで良かった」と思ってもらえるためには、決して支離滅裂でないように、せめて文章としての体裁は整えておくということが必要です。

それが、客人を家に招く時に行うようなマナーのようなもので、掃除を済ませ、スリッパを用意する、お茶とお菓子も準備しておくように、句読点のあるなし、段落分け、語句や修辞の確認など、広く目を行き届かせておくべきだなと思います。

内容としてどうということもありますが、その是非を問う前に、無理なく読めるようにしておくということが最低限のことではないでしょうか。

きっと、そのようにして読みやすいとか読み応えがあるような文章は、内容においても理路が通っていることでしょうし、楽しく読み進めることができるように思います。

それらは相互に連動しているはずのものですから、それぞれに研鑽を重ねていくことで、より多くの人の、より心の深いところにまで自分の文章が届けることができるでしょう。

そういう気持ちを持って、日々文章を書き連ねていきたい次第です☆