思考は大きく広がって

 

何かを行う(行動を起こす)というのは、何かを言うことよりも実際に行っている分だけ説得力を持っています。

そのためには、何を思うかよりも何をしているのかという方に重きを置いて見る傾向は強いように思います。

ただ、これが人との関わりについて考えて見ると、行動をベースにして関わっている人や、行動を通してつながっている人とは、行動をともにしなくなると結構早い段階で疎遠になるのではないか、そんな風にも思うものです。

個人においては、どんどん行動を起こしていくべきでしょうが、これが誰かと何かをするには、一緒に過ごす時間や場所を決めなくてはならないし、そのための連絡や一緒にする内容をも考えなくていけません。

確かに、誘いはすれど「また今度ね」とか、「その日はちょっと・・・」というようなことが頻出すれば次第に誘いにくいことにもなるでしょう。

その手間を惜しんではいけないものですが、それが誰となのかも関わってくるので、一概にこうであるとも言いがたいのはあるかもしれません。

興味や関心も移り変わっていきますし、お互いの関わり方もいつまでも同じというわけにはいきませんから、そのあたり変わっていくのは致し方ないということなのでしょう。

ただ、一緒に何かをするというのは交流を深めるには良いと思うので、そういう機会もそれなりに多くあると良いように思います。

それが、何を思っているのかというところでの、思いとか思考の場合で考えてみると、時間も場所も大きく隔てながらも、つながれることがあるような気がします。

手紙やメールを駆使すれば、リアルタイムでの議論はできないとしても、チェックしたり、返すまでの間にじっくり考えたりできるのはいくつかある利点のひとつのように思います。

また、お互いにやり取りをしなくても、ブログを読むとか、本を読むとか、機会を見つけてはピックアップすることはできるわけです。

ブログでも結構有用なことは見つけられますし、本の場合では、時間どころか大きな時代を越えて、また場所も遠く離れながらも、読むことができます。

それがひとつ「本を読む」ことの醍醐味なのかなという気がします。

これはまた掘り下げたいテーマではありますが、今はそれほど会わないような人、連絡を取り合わないような人であっても、どこかで元気にやっているのなら、それはそれで良いように思います。

そういうことにも思いを馳せるようにしていきたいものです☆