そっと耳を傾ける

 

存在の有無であるとか、意見・感想の有無のようなところで、目に見えないから"ない"のか、自分の視界に入っていないから"ない"のか、決してそのようなことはないように思います。

一枚布をめくれば何かがあるように、本当のことというか、大切なことはそう簡単には目には入らないのかもしれません。

そこに何かがあるはずだ、そういう姿勢とか意気込みを持ちながらコトにあたると良いように思います。

これはまた、人の持つ意見・感想にしても似たようなものかなと思っていて、「はい、今思っていることを話して」と言われて、即座に言う人は少ない気がします。

話し出せば何かを語ることになるかもしれませんが、自分の本当に思っていることかどうかもあるし、言わないからないと思うのも早計というものではないでしょうか。

こちらにしては、特に言わないだけのことで、では何も思っていないのか、何も考えていないのかといえば、必ずしもそうではないはずです。

それはまた、感じてはいるけれど言葉になっていないだけのことで、いかに拾い上げるのか、そういう声なき声に対しても耳を傾ける姿勢って、とても大切だなと思います。

そういうものにしても、どこか身ぶり手ぶりとか表情・しぐさに浮かび上がってくるもので、よく目を凝らしていくと何かしらは察することはできるでしょう。

意外なことでもありませんが、川の表面で水が流れる様子と、底流で石や砂とともに水が流れるのでは、同じ川にしても流れ方は異なるわけです。

それを表面だけを見ているようでは、本当に上っ面しかなぞっていることにしかならないし、全体が見えていないということにつながってきます。

自分であらゆる可能性を感じていないと、広く物事は見えないものですし、新たに知るようなことにも気づくはずはないでしょう。

言い換えれば、身の回りのことにほだされているだけでは、そういうきっかけですらも見落とすかもしれず、しかもその見落としていること自体にも気づくことはないように思います。

物事はおよそ構造をともなってできているものなので、階段を一段ずつ上がるとか、箱の中に箱があるとか、そういう複雑なものなんだよな把握していきたいものです。

頭の中ではいくつもの考え方・やり方を思いながら、目を凝らし、耳を澄ましながら、大切もなものをとらていきましょう☆