打破を試みるとして

 

どうにも"しょっぱい"状況で、どうにもならないなとも思いながら、それでも物事の良い面を見ようと試みています。

直面するばかりでなく、あらゆる角度からとらえようとして、また、楽しいことを思い浮かべることで回避しようとして、それでどうにかなるのかと思っています。

直接の解決には至らないし、その糸口さえもつかめない、それは眼前の課題に対して、ひとつの逃避なのかもしれません。

ただ、思いの強さは実際への影響があるもので、その逃避それ自体が、理想に向かうために必要な回避なのだとしたら、それは十分に効果のある試みであると言えるでしょう。

今はそうではない、それでも少しでも理想に近づくと良いな、何かしらもっと良くなると良いなという、逃げながらも追いかけるという、いささか"ひねり"のある試みとも言えるわけです。

少なくとも、まともにやり合わないという時点で、あまり内部に組み込まれることなく、はじき出されるようにして浮かび上がっていくことになるでしょう。

それは、疎外とか除外のようにもなるかもしれませんが、本当のところでは願ったりかなったりの状況なのかもしれません。

どうにもならないところで、自分が絡め取られて、それで不自由な思いをするくらいなら、そこから離れるに越したことはありません。

きっとどういう状況にあっても、自分自身が楽しいと思えることをする、それが逃避でも回避であろうとも、自分自身で、あるいは、心の内でできることにひとつなのかとも思うものです。

もちろん、周囲と調和を図るのは大切ですし、上手に物事が進むことを望むとしても、極限のところで相容れないのであれば、それもまた致し方なしということになるのではないでしょうか。

このあたりは、自分自身が冷静になって、意識とか行動のところで深く潜行するからわかることなので、そのあたりの確認は怠りなくするのが良いでしょう。

それ以上に、自分の理想とすることは何か、望むものは何かを明らかにして、そこにまっしぐらに向かうようでありたいものです。

そのためにも、コトの子細を見極めるようにして、自分は何を思って、何を目指しているのか、いつも自分の足元を確かめながら歩んでいきたいものです。

そして、思いの強さを増すようにして、日々の実践を行うばかりです☆