事物への接し方は

 

身の回りの、自分の使っているモノへの接し方は、人への関わりに対しても当てはまるのではないでしょうか。

たとえば、カバンとかケータイ(スマホ)とか、普段使っているとどうしても消耗・破損はしていくものです。

それなら壊れたら新しいものを手に入れて替えれば良いとか、より便利ならすぐさまそれにするとか、飽きたら次に行くようなことも含めて、そういうことをするのが今の風潮かもしれません。

そうでなくても、今は手軽にいろいろなことができるようになっている分、余計なことはそもそも考えないとか、時間を省くようなことが多いのかなと思います。

服を洗うのに洗濯機にかけるのか手洗いでやるような違い、見た目に同じなら楽な方、機械に任せることを多く選ぶかもしれません。

そういうことのいくつかを見聞きしていると、丹念に手入れするとか、丁寧に使い込むようなことは、発想としてもだいぶ薄くなっているように思います。

それも一方ではあるとしても、ギターやベースのような楽器では、使い込むとまた音色が変わることがあります。

本体の多くが木材であって、乾燥がさらに進めば音が引き締まるとか、いつも鳴らしていることで音に甘みが出るのは、決して感覚的なことばかりではない気がします。

また、ジーンズも最初から"かすれ加工"がしてあると、色落ちするのを楽しむとか、少しずつの変化を楽しむとかいうこともしなくなっているようです。

そもそも発想として何も持っていない限り、こういう感覚にも行き着かないように思って、それは潔いのかもしれないけれど、考えを深める機会を見てもいないように思います。

これは、人に対しても同じで、相性とかタイミングとかはあるにしても、もしも深みを増すようであれば、時間や手間暇をかけてみるのが良いかもしれません。

言い方を変えれば、時間や手間暇をかけない限り、深まるものも決して深まることはないということになるでしょう。

そうでないことも多々あるでしょうが、端からこちらの思うようにはならないのだから、もう少し考える余裕はあっても良いように思います。

手軽さや便利さだけではたどり着かない境地もあるので、そのあたり迂遠でもやるのが好ましいと思います☆