数に翻弄されて

 

数が多いと、その勢いに持っていかれるような、そういう引きの強さがあるように思います。

海で起こる波のように、数の多さが勢いの大きさのようになって、少ないものや小さいものは打ち消されてしまうでしょう。

それはまた、渋谷の駅前の横断歩道で、進みたい方向に行きたいけれど、前や横に大勢がいるとそれができないことに似ています。

ひとまずは渡りきることが大切で、行きたい方向はその後に向かえば良いのかもしれませんが、最初からその両方ができていると好ましいものです。

自分の意見であったり、進みたい方向であったり、基本的には自分自身でしっかり持っていることが大切で、外側からの影響で翻弄されているのは本意ではないものです。

もちろん微調整をするとか、多少の妥協ということもあるでしょうが、押されるばかりも良くないので、程度の問題はあると思っておくのが良いでしょう。

こういうところを掘り下げて考えていくと、案外物事の多くは、声の大きい人であるとか、大勢の意見を従えているとか、そういう大きさ・多さによって決定しているのかなと思うものです。

勢いの良さ、威勢のあるかどうかで是非が問われているばかりでは、正否や可否を問うことがすっかり後回しになってしまうでしょう。

これは、多いから正しいとか、妥当であるということでは決してないので、しっかりと見極める必要があります。

また、短期的には有効であるとか効率が良いとかもあるでしょうが、長期的に見てもたらすものの大きさを見ることも大切ではないでしょうか。

今は、世の風潮として早いばかりを賞賛するのかもしれませんが、いつまでも拙速なばかりではいけないようにも思います。

また、物事を決めるのに、切れ味鋭くさっさと決める方が楽かもしれませんが、本質的なところでの議論を重ねることの大切さも、決して忘れてはいけないものです。

じっくり考えるばかりでもないけれど、何が最善なのか、多くの知恵を集めて、そこでちょうど良いところを見出していけると良いように思います。

普段より、自分の目で見て、何がどうなのかを考える、そういう地道な積み重ねをしていくのが良いかもしれません。

これが、いつ役に立つかはわかりませんが、少なくとも自分の見る目は養われていくので、そこからはじめていけると良いでしょう☆