昼時に、ラーメン屋なんかの前を通ると、
わりと長い行列をつくっていることがありますが、
席について食べるまでに、どれくらいの時間がかかるのか、
自分は並ばないまでも、思案することがあります。
あるいは、何に並んでいるのかはわからないけれど、
人が多く集って、ワイワイしている様子を見ると、
先に進んで、それの正体を突き詰めたくなるものです。
行列の長さは、期待値に比例すると耳にしたことがありますが、
時間がかかろうとも、そこに価値を感じているのなら、
長いこと待つことに対しても、ほとんど厭わないというのです。
確かに、銀座の宝くじ売り場の1番窓口に並ぶのを見ても、
小1時間くらいは待とうとも、それが「当たり」につながるのなら、
待つのくらいは、全然苦労でも何でもないという心理なのでしょう。
ラーメン屋にしても、コンサートのグッズ売り場にしても、
そこに行き着いた時に、得られるものの満足度の大きさがあれば、
並ぶことすら楽しい時間ともなるのかもしれません。
そして、そういうものを受けるのみならず、
提供する側として、それだけの価値を生み出せるのなら、
やりがいを感じて、より良さを求めるようになるでしょう。
並んで待ってでも、そうしたいというのは、
ありがたさと同時に責任をも感じるものです。
少し余談になりますが、こういう行列に並んでいて、
それが意中の異性で、まさしくデートであるような場合に、
この待つ時間が、相手にとって楽しい時間となるのかどうか、
話題や内容の豊富さによって、良い時間となるのか、
それはかなり、こちらが試される状況と言えるでしょう。
または、仲の良いと思っている相手と並んでいて、
ずっと話が続くほどに打ち解けられているのか、
これもまた、ひとつのポイントであると言えるでしょう。
しかし、根底のところで気持ちが通じていれば、
黙っている時間も別に気まずくはならないし、
お互いを慮っていることがわかれば、
それも居心地の良い時間や雰囲気が流れているはずです。
自分は、果たしてどちらの側かなとも思いますが、
基本は話さなくても良いかなと思いつつ、
何に由来するかのサービス精神によって、
できるだけ会話を続くようにするかなと思います。
そこでは、自分ばかりが話すのではなく、
キャッチボールとして会話が弾むようにしたいし、
それができるのが、思いやりにつながるのかなとも思います。
あとは、そういう並ぶ状況に異性がいれば嬉しい限りです☆