未知の繰り返し

 

いつものように行っていることや、自分で繰り返している行動や発言など、これが自分だというような枠組みや輪郭が、誰にとってもそれとなくあるものです。

席に座る時は隅の方を選ぶとか、ラーメンの麺は固めが良いとか、自分の好みを知っているということではそれはとても良いことだと言えそうです。

あるいは、仕事や生活で同じ場所を毎日のように行き来する人もいれば、世界中飛び回るようにして、それこそ明日はどこにいるのかわからない人もいるでしょう。

それ自体、良いとかそうでないとかいうことでなくて、今の自分の選択の仕方はそういうことになっていると認めることが、何よりも大切である気がします。

もしもそれが、出会う人、食べるもの、行く場所などを規定しているのなら、それにもとづいての出来事が起こってくるだけのことで、変化をもたらしたいのならその道理を知ることが、おそらく先決になってきます。

技術や知識、体験において、繰り返すことで突破できることもありますが、今までとはまた異なる、自分にとって新しいものに出会うことで突如として開けるものもあることでしょう。

刺激をどのように取り入れるのかということにもなることで、出会ったことのない人に会う、着たことのない服を着る、行ったことのない場所に行くなど、自分の知らないことに触れること自体、十分な刺激になるものです。

今の自分の感覚として、今あるものはベースであったり、自分の大半を占めたりするものとして維持しつつ、同時にあれこれを試す余地をつくり、それでもって支離滅裂なくらいにいろいろ試してみると楽しそうだという境地にいます。

それがまた、自分の新しい基準となり、ルールともなっていくのであって、道をどのように選ぶかでどのようなところに行き着くのか、行く末を見ていきたいなと思います。

良いものは良いものとして蓄え、そうでないものは適宜入れ替えるとか改善するとかして、自分の中の容量を満たしていきたいものです。

最近はそういうことばかり考えていて、もちろん実際にも移していくべきで、それがまたひとつの流れでもあるので、これがどこに行き着くのだろうか、経過をまた取り上げていくかと思います。

そこで少しずつの変化が垣間見えたら楽しそうだ、その観察の記録としても活用しておきたいなと思っています☆