求められるもの

 

今はYouTubeニコニコ動画などでの配信が注目を浴びていて、それを活躍の中心においている人も多くいます。

または、Instagramで写真や画像を投稿する人も多くあって、それぞれの媒体"+er"を名乗ったり、総称したりするのがわかりやすくなっています。

今でいうと映像や画像が主流なわけですが、これが2000年あたりからしばらくはブログを書いて発信する人が注目されることが多かったように思います。

文字か映像かの違いはありますが、自分の思っていることや見聞きしたことを発信することによって、それを見た人が何かに役立てたり、単に楽しんだりする、そういう行き来があるわけです。

これは余談になるのですが、この文字か映像かの、どちらがより求められるのかを考えてみると、たとえば通話中心、話し言葉でやり取りすることが多い時代では、文字で表すのが新鮮に思えるものです。

もちろん、機器の発達具合でポケベルからEメールでは、カメラ機能はなく文字しかないという制限があったにせよ、それは目新しい連絡ややり取りの仕方であったように思います。

これが最近では、LINEの圧倒的な普及を見てもわかるように、あまりにも文字中心であるようになると、誰かの話しているのが聞きたいとか、話し言葉で情報を受け取りたいとなるのかもしれません。

それがあっての、YouTubeに代表されるような動画配信サービスの需要につながっているようにも考えられるものです。

そこでは反動と言いますか、「ある」ものがある程度満たされてしまうと「ない」方に目が向くような感じがあって、とても興味深く思います。

今後もケータイ(スマホ)の発展や各種サービスの勃興などあるでしょうし、通信機器や技術においてはいまだ著しい変化を遂げていきそうです。

それによってどう変わるのか、目先の変化だけでない、もう少し根本から見るような視点があると良いでしょう。

これら、そういうことの一方で、"本を読む"ことは相も変わらず廃れることはないでしょうし、その有用さは多く説かれているところです。

このことも加味していくと、発信する手段の工夫は当然必要かもしれないけれど、より内容のあるもの、見る価値のあるものを届ける姿勢が大切なのかもしれません。

限られた時間をどう使ってもらえるか、それもまた考えていくのが良さそうです☆