理想を掲げる

 

自分はこう思うが、果たして他の人はどう思うのか、気になるあまり、周囲の人の声やインターネットの意見を覗いてみるということがあると思います。

そこで、自分の意見と似ているものがあれば安堵はするけれど、多くの人が思い思いに言っているさまは、時に居心地が悪くなるかもしれません。

大声でわめいている中に飛び込めば、次第に不快さが増してくるように、必ずしも好ましくないものに多く触れていくうちに、嫌気も差してくるというものです。

わざわざ泥沼に入る必要もないから、頭の中にお花畑を描くように、または、お花畑に自分がいるようにして、何がどうなると嬉しいのか、そういうことの多くを思い描いていくのが良いように思います。

あまりに地に足が着いていないと、何やかんやと言ってくる人がいるかもしれませんが、そんなことはお構いなし、自分の想像する領域は不可侵でありたいものです。

たとえ、その"お花畑"の、単なる夢想だとか、夢物語だとか思われたとしても、自分にとって何がかなうのが最も理想であるのか、愚直なまでにそれを考えていくわけです。

お花畑を、自分の望みが最高にかなった状態であるとか、あらゆる理想を詰め込んだ状態として、それに向かって思いを増したり、行動を起こしたりしていくことも大切です。

たとえ最初はおぼつかなく、どこに向かっているのかもわからないかもしれませんが、小さな一歩、その一歩ずつが積み重なっていけば、必ずや何かしらの現れになってくるものです。

遠くの場所に行くにしても、高い山を登るにしても、次第に向かっているのがわかりますし、やがてその理想の最終形、最終的な目的地にゴールして進んでいくわけです。

闇雲に走るとか、とにかく走り出すこともしながら、果たして自分はどこに向かっているのか、少しずつでも様子がわかってくると良いなと思います。

走り出すのが先か、理想を掲げるのが先か、これはそれぞれの得意な方からやっていけば良いでしょうが、より大きな力を発揮するためには、どちらも大切であるような気がします。

こうなると良いな、これも良いなと、すべからく"いいとこ取り"の気持ちでいて、気持ちハツラツといきたいものです。

憧れも羨望と紙一重でもありますから、誰かの足を引っ張るのではなく、ともに先を進もうという、そういう気持ちもあると良いなと思います☆