的を射る物言い

 

人としてとか、頭の使い方としてどうにも「頭わりーな」と思うことがあっても、「あなた、@@ですか?@@ですよね!」と言ったところでカドが立つばかり、一触即発のケンカにだってなりかねません。

いくらそう思っていたところで、何にもくるまずに言うことはできない、それでも自分の感覚だけでなく、まっとうな人が思う常識や良識に照らし合わせて見ても、どう考えても"@@"であるとしか思えないことはあるものです。

今は自分しか見えていないような人が多いのかもしれませんが、それにしてもいかがなものかというのが横溢していますし、それがひとつの"正しさ"であるかのようにはびこっています。

たとえば、自分さえ良ければ良いとか、多くお金が入ってくるから良いとか、だいぶ度を越えてしまえば、それはまた毒であり害となってしまうものです。

そういう節度のようなところで、どのあたりがちょうど良いのか、極端に振れることなく適当にあることができるのか、そういう発想、頭の使い方をしていくのが良いように思います。

案外見えないのは自分の足元であるので、いつも確認しているようでありたいものです。

決して多数決で定まるばかりではないし、少ないから清いばかりでもなく、自分の足元を見て、今の立場を鑑みるのが良いかもしれません。

実際に立っているという立場もあるでしょうし、役割や主張のようなところでの立場もあるでしょう。

もしも自分の意に沿っていなとか、それはいかがなものかという場合、いくらか速やかに是正していくのが良いと思います。

そういう頭の使い方ができるのが好ましいし、こういうことは日頃からの少しずつの取り組みがモノを言うわけです。

日頃の取り組みによって、良い頭の使い方を推進していると、そのうちに"@@"であるようなことも別の言い回し、伝え方もできるかもしれません。

それはするかしないかはまた考えるとして、自分自身の教訓として、または、知性の涵養のためには、こういう様子をどう解釈するか、または、どういうものが対極にあるような"良きもの"なのかを考えていきたいものです。

そのための余地をいつも保つようにするし、それによってきっと"良きもの"に導かれるように、自分自身もまた良いことになっていくことでしょう☆