端的に語ってみる

 

要点を的確にまとめ、極めて端的に表すことは良いと思いますが、何でも話を簡単にするようなことは避けた方が良いように思います。

自分自身は、順を追って、積み上げていくようにして話をしていきたいと思っているので、先を急かされるようにあっては、かえって口を噤むことになってしまいます。

先に結論を持ってくるかもしれませんが、どうしてそこに行き着いたかの経過や経緯も含めて、ひとつの説明となるのではないのでしょうか。

物事は速やかに処理され、次々と終わらせていくことが世の風潮のひとつではあるものの、その一方でじっくり腰を据えて考えるということも、決して看過してはいけないものです。

速さということであれば、目に見えたり、わかりやすく思えたりするようなことの、ほんの上澄みだけを汲み取れば良いのかもしれませんが、しっかり底の方からかき混ぜないことには、旨味や本当の味わいのようなものは総じて知ることがなくなることでしょう。

本当のところを知るというのは、受け取るこちら側の準備や構えが必要となるし、それは知的な負荷が相当にかかることなので、あまり正面切って取り組むことをしないかもしれません。

上澄みかどうかの例として、味噌汁を考えるとイメージがつきやすいのかもしれませんが、時間が経つと味噌の溶けた部分が底の方に沈んでいってしまいます。

それを、お椀に汲み取る時にはしっかりかき混ぜることもそうですし、食べる時にもかきまぜながらその都度口に運んでいくものです。

あるいは、味噌汁の好みというものを誰かに伝えたり、誰かの好みを知ろうとする時には、"だし"はどうする?味噌は白、赤?入れる具や味噌の濃さはどう?といったことを加味して、ようやく概要がわかってくるものです。

それを、上澄みだけを汲むとか、「あの人は味噌汁が好き」という情報だけでは、部分として知っているだけで、具体的に知っているとは言えなくなってしまいます。

一足飛びで何かを果たそうとするのは、きっと怠慢なのかもしれません。

短い時間で濃密に取り組めばできることは多くあるでしょうが、時間をかけないとわからないこともあるし、複雑な過程や多くの段階を経なければ知り得ない感覚もあるはずです。

高く跳躍するためには深くかがみむ必要があったり、海の深さも底まで行かないと実態がわからなかったりするものですから、思考や議論においても、一旦はとことん深みに行ってみるのも良いのかと思います☆