系統立てるにしても

 

何かの場面で、決まった持ち時間、決まった文字数の範囲で、どうにか自分の意見を述べたり、何かひとまとまりのあることを語ったりする機会があるとします。

そこでは、自分以外の、決して少なくはない人の数の、耳目をいかに集めるのか、そのためにはできるだけ有意義であろうと試みるはずです。

責任をしっかり果たそうとすればするほど、緊張感は増し、手には汗がじっとりとにじむように、いつもならざる境地に立たされることになります。

裏を返せば、自分の役割を強く意識していることでもあって、準備も練習も怠りなく、着実に遂行しようと試みていることが読み取れます。

しっかり題材を掲げ、起承転結を貫く、いかに論理的に破綻がないか、考え抜くこともあるでしょうし、ただの雑談だと言いながらも、生活にまつわる知恵が含まれていたり、誰でも実践できる内容だったりするように、そこかしこに工夫があるかもしれません。

そのように、あらかじめ系統立てて、可能な限り理論にかなった話し方をするのが、基本的には最も好ましいようにも思います。

努力の跡が垣間見えるとか、誠実にコトに当たっているというように、必死さがあるのを好む、そういう人だっているかもしれません。

ただ、そのように考えてしまうと、何だか難しいな、自分には到底無理だと思う人も多くなって、せっかく他の人にとっては、自分にない知見を知る機会がありそうなものを、その前の段階で損なっていることも多くありそうです。

もう少し気楽に考えてみると、人それなりに日々を過ごし、いくらか考えて生きているうちに、自分固有の体験や感覚というのもそれなりのものがあるはずです。

あまり肩肘張らずにありのままを出していけば、それが他の人にとっては興味深いことである、そういうことも多い気がします。

それに、何を話そうか、何を語ろうかなどど考えるまでもなく、その時々の思いつきであっても、必要な分だけ必要な話が出てくる、こういうこともどうやらあるようです。

時宜にかなうように、何を気負うこともなく、出てきた言葉、出てきた感情がその場面では必要であるということなので、自分自身、何が出てくるのか期待するくらいで良いと思います。

そのためには、日頃から好奇心を働かせて、いろいろなことを知っておくとか、学んでおくことは大切なことかもしれません☆