好きと向いている

 

「好きなこと」と「向いていること」、よく「好きなこと」を仕事にすると良い、むしろそうしない方が良いなんてことを言いますが、それは一体どういうことなのでしょう?

「好き」というのは気持ち・感情の表れであるので、コトの如何を考えるために、一旦「向いていること」を経由しながら考えて見たいと思います。

「向いていること」は「できること」とも言えるでしょうが、ただ、ここには"今の、自分が"という注釈が含まれるように思います。

今の、自分ができること、たとえば計算が上手であるとか、歴史の年号を覚えるのが得意であるとか、どこか技術とか技能とかの意味合いが強いことに気がつきます。

手先が器用とか、丁寧にやることができるということも考えていくと、自分にとってどうであるかより、周りの人が見てわかることが多いようにも思えてくるものです。

自分自身、何がどれくらいできるのかは、なかなか客観的にはわからないものだけに、第三者的に見て判断できることを頼みにしてしまう傾向があるのかもしれません。

その方が、また知らぬ誰かにアピールしたり、紹介したりするにも信用を得やすいので、「できること」から「向いていること」を導き出すのが理にかなっているとも言えそうです。

一方、「好きなこと」というのは、あくまで個人の胸の内にあるものなので、いくら好きだと言ったところで、それがどれくらいのものなのは、他の人には測りきれない気がします。

だからと言って、「向いている」ことを優先して、「好きなこと」を諦めるべきだと言っているわけではありません。

今の段階で「向いていること」というのは、あくまで「向いていそうなこと」であって、今後どれくらい技術や技能が研ぎ澄まされるかは、むしろどれくらい「好き」なのか、これが大きな原動力や起爆剤となる気がします。

"好きこそものの上手なれ"という言い回しもあるように、向いていることがより上手にできるようになるためには、気持ちの入れ込み具合が大切であるように思います。

おそらく、「好きなこと」と「向いていること」を寄せ合うようにして、互いにもう一方へ寄せていくということが最善なのではないでしょうか?

水と器のように、器に合わせてカタチを変えるし、水の量に合った器を用意する、どちらが優先されるまでもなくどちらも大切だと考えると、また異なった見え方になりそうです☆