緩やかなつながり

 

以前、雑誌にて「緩やかなつながり(WEAK TIENESS)」の特集があって、この発想は興味深いなと思って目を通していました。

これは人と人との関わりにおける、ひとつの知見として取り上げていたもので、最近またこのことを思うようになっています。

自分自身、どこかで"つながり"というと強いものでなければいけない、強くあるべきだというような思い込みもありますし、風潮としてそういうものだというのもあるかもしれません。

たとえば、一度知り合ったら仲良くする、いつも行動をともにするとでもいうような、強制ではないけれど強めの要請のようなものを感じるものです。

ひとりひとりの関わりの深さもそうですし、人数の多さにおいてもそうであるような感じがあるように思います。

ただ、自分自身に限らず、何となく周囲を見渡すにしても、時期によって関わりの度合いも変わっていくものですし、人によっての距離の取り方も異なるものです。

一様にしてこうであるということがあてはまるわけでもなく、それゆえに理想として思うことの方が意識として根付いているのかもしれません。

そこで「緩やかなつながり」という話になっていくのですが、これはわかりやすく言えば、お互いに顔と名前を知っている"知り合い"がどれくらいいるのかということになります。

会えば話をする、時々は連絡を取ったり会ったりするくらいでも良いでしょうし、普段はそうでなくてもいざという時に集まることができるというのでも良いでしょう。

誰かをたどっていけば会いたい人に会えるでしょうし、知り合いの知り合いがこれまた知り合いだったというように、知り合いの(わりと大きめの)輪の中にいれば良いような気がします。

わかりやすい例で言えば、何かしら病気になった時に、医師の知り合いはいないとか、友人で医師の人がいるわけではないとしても、小・中学生の頃の同級生に尋ねてみるとか、近所の人から情報を得てみるとかはできるものです。

決してそのためだけではないけれど、普段から身近な人たちと付かず離れず関わっていることで、必要に応じた対応ができるものです。

あまり小難しいことを考えず、出会った人には名乗っておくとか、連絡先を交換しておく、そして、時々は連絡を取ってみるようなことで良いと思います。

これが興味深いことのひとつには、生きる上での特定のコツだというものでなく、自分自身がどのように生活を送っているのか、それが明らかになるだけということになります☆