車輪のように回転して

 

ひたすらに考えを巡らしていると、

これは堂々巡りなのか?と思うことも、

決してないわけではないことに気がつきます。

 

そういう時、健全な思考が回っているかといえば、

意外とそうでなく、どちらかというと、

何回も、回り道を重ねているうちに、

袋小路に向かっているような感覚なのかもしれません。

 

身体的な動きの面でも、じっとしているのが長いようでは、

きっと、柔軟さも減ってしまうでしょうし、

それがいろいろと滞る遠因ともなっていそうです。

 

腕を大きく回す、頭もぐるりと回し、

何か、開明的なことが思い浮かばないものかと、

期待も大きくふくらむ気持ちなります。

 

血液の循環や流れ、これもまた、

興味の広がる対象のひとつではあります。

 

確か、「ロルフィング」という身体の機能を改善する、

体術というか、施述のひとつのアプローチの仕方が、

筋膜や身体の関節やらの回転によってなされるもので、

人間存在が、頭のつむじに象徴されるように、

回転によって制御・統制ができるものだったはずです。

 

非常に曖昧な記憶・記述で、はなはだしく申し訳ないところで、

詳細はそれぞれに言及していただきたいと思いますが、

回転というのが、切っても切り離せないものである、

その一環としての部分を感じてもらえれば本望です。

 

以前、ズボンを履いて、ベルトを締める時に、

多くの場合では、左からさして、腰を経て、

右に抜けて、仕上げに留めるかと思いますが、

地球の自転(北半球)に合わせてなのか、

時々、逆にやってみるという人がいました。

 

回転とか、円の軌道とかを考えると、

地球は球体、自転・公転で回転しながら、

大きく描いて回っているわけで、

ある意味、宇宙をも含む真理なのかとも思います。

 

円や球に言及するのは、またの機会に譲るとして、

回転ということで、もう少し広げてみると、

回転の持つ力というものは、遠心力もさることながら、

渦の、真ん中に巻き込む力のような、

あくまでも力強い、良い影響をもたらすような力の強さ、

こちらの方を、より積極的に採っていきたいものです。

 

ついでに申し上げるとするならば、

アンモナイトの姿やカタツムリの殻のように、

あの渦巻きは、一種の「永遠」を象徴するもので、

彫刻や芸術の題材となることもあるくらいのものです。

 

また、"運命の車輪"という比喩もあるくらいで、

回転しながら、より良い円が「縁」とつながるように、

さらには、前に進む原動力・推進力となれるように、

ますます回転を増していきたいものです。

 

まずは、自転車にまたがって街に繰り出す、

この頃は機会少なく、全然乗っていないので、

風を受けて走れば、気分はまた健やかにもなるでしょう☆