閉じたり開いたりして

 

これは、開けた扉はしっかり閉じておきましょうとか、閉じた扉を開くのは力がいるよねという話ではありません。

扉の開閉しかり、どの扉がそうであるかは、自分の身の回りにおける可能性の比喩としてわかりやすそう、そういう類の話です。

何かが途中で終わった場合、それは次の扉=可能性が開くということで、一旦は落胆するかもしれないけれど、ある意味良い機会でもあるかもしれないのです。

誰かとの交際で、恋人関係にまで至らないとか、恋人関係に至ったけれど、どうもしっくりこないことがあるとして、それはまた新たな相手を探すきっかけになるかもしれません。

もちろん、物事は山あり谷ありよりかは、よりスムースにまっしぐらに進む方が好ましいでしょうが、そうでないことが多い世の中では、艱難辛苦も乗り越えた上で、最上の喜びを目指すのが良さそうです。

恋に仕事に、目の前の扉が閉じる時、別の、また新たな扉が開くであろうこと、それとはなしに念頭に置いておくと良いように思います。

そのコツをひとつ知ったとして、いかに実行していくかについては、取り組んでいるひとつひとつを中途半端に終わらせることなく、行く着くところまで行くというのが大切なのかもしれません。

可能性をとことん追求することで、自分の実力や周囲の後押しでどこまで行ったのかがわかるので、自分の身の程をイヤというほど痛感することもあるでしょう。

そういうことを知らずして、ちょいちょいと前菜だけをつまみ食いをしているようなことでは、いつになってもご馳走にありつけないように、どの扉を選んだとしても、いつもよくわからないことになってしまいます。

山の頂上を知るように、今の自分のいる場所を知って奮起すれば良いということで、周りの状況のせいにもしないし、誰のせいにもしないというわけです。

それに、伏線を広げて、それを最終的に回収するという考えが今は定着していますが、それとは逆に、伏線とは広げられるだけ広げていくもので、回収できるかどうかはその時次第で良いのかなと思います。

整合性が取れるとか、辻褄が合うようなことばかりを考えるのではなく、気がついたらそうなっていたというように、力の入れどころを見誤らないというのも大切なことでしょう。

自分にとっては意外なところで意外な扉が開くこともある、そのためにどの扉の開閉もしっかりとやっていきたい次第です☆