閾値を越えていく

 

普段より自分の望む何かがあって、少しずつの取り組みでそこに届くように試みる・試みていることがあると思います。

大きい枠組みのものでは、プロ野球選手になる、ベストセラー作家になる、世界中を飛び回る探検家になる、そういうものが該当するように思います。

取り組みの最初の方では思っているより難しいぞとか、思ったより時間は必要だぞとか、事前の想像と実際が異なることは多くあるものです。

その手前では、走ったり読み書きできたりするような、基本的な体力や技術が必要となってくるものですが、あとはどれくらい練習に費やすか、どれくらいの時間や労力を注いすかといったことが取り沙汰されるものです。

これは、大きい枠組みで考えることに限らず、うんと身近なことにおいてもあてはまることで、そこでできているかどうかを確かめることの方が先にやっておくべきことかもしれません。

たとえば、炊事・洗濯の類は欠かせないもので、気分が乗らないから食べない・着替えないというのでは、心身ともに好ましくない気がします。

生活や生命を維持する程度であれば、多く工夫をする必要もありませんが、そこで少しでも美味しく食べようとか、快適に過ごしていこうと思い立つこともあるでしょう。

そうすれば、味付けの仕方が気になったり、洗剤の量とか干し方に改善が見られたりするはずです。

何が良くて、何がそうでもないのか考えていくうちに、自分にとっての最適や上手に行うコツを知っていくものです。

気がつけば何日何ヶ月と取り組んでやがて知るということで、考える回数や実際に試してみる回数は少ないわけにはいかないということが見て取れます。

水一滴は少なかろうとも、それが長く続けばコップから溢れもするだろうということで、少しでもやっていくことで見えてくるものはあるはずです。

ひたすら回数ばかりを追っていても仕方がないのですが、それくらいやる気概は前もって持っているのは良いように思います。

その考えに従えば、何に取り組むにしても一回二回で断念するのではなく、とことんやってみることを意識してみるのが良いかもしれません。

そして、どこかのタイミングで、まさにコップから水が溢れる瞬間にも出会えるでしょうし、それがまさしく「閾値を越える」ことなのだと知ることになるでしょう。

身近なところでそれを体感するも良し、自分の望むことにおいても体感するのでも良いと思います☆