<その2>からの続き…。
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だいぶ多くの分量を費やしてきて、
言いたいことの多くも出し切ってきたところで、
ひとつ締めくくりに向けて続けていこうと思います。
「結婚と合気道」とかの内容を知ってもらうことで、
言いたいこともあるのですが、今回は紹介に留めておきます。
ここからは、何かを取り上げながら進めるというよりかは、
いろいろなことを考えながら、私はこう思うというところを、
多く書き記していければ良いなと思っています。
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今回、言いたいことばかりが増えて溢れただけなので、
タイトルはほとんど即興的に考えていましたが、
内容に照らし合わせてみれば、"幸せなセックス"とは何か、
"心身ともに深いつながり"を持つにはどうすれば良いのか、
こういうことが主題として掲げているわけで、
それを追求しながら考えるのが良いだろうと思ったことと、
あとは、「天使論序説」というものの影響もあります。
身の回りで、あまり知っている人はいないけれど、
なかったことにするにはできない話のひとつです。
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トラウマのセラピーとかカウンセリングとかで、
突き詰めていくと性的なことに関わることが多く、
それだけに、自分自身の自我とか存在に対して、
セックスというものは大きい影響をもたらしているわけです。
自分自身の場合、それがあてはまるのかはわかりませんが、
確実に、長く心の中で抱えている事柄はあって、
必ずしも性的なところはないのかもしれませんが、
何となく推測するに感じ取ることはできる気はします。
特に、こういう10月や11月を迎えようとする時期は、
思いが溢れて、目が潤うようになってくるものですが、
これは誰に対しても言えるようなものでなく、
容易にわかってもらえるようなものでもないだけに、
私は私の口を閉ざし、心も閉じるようになるのだと思います。
ある程度わかっていて、そうでないように振る舞いもしますが、
根底だとか、背景だとかに思いを持つような人がいれば、
それはまた、ありがたいことだなと思うし、
自分も少なからずそうでありたいと思っています。
代々木監督の場合では、セックスで負ったものは、
セックスで解消するようなことも多くあるようで、
恋愛の痛手は恋愛で埋めるとか、
仕事の失敗は仕事で挽回するように、
決して同じ轍は踏まないようにしながらも、
逃げずに立ち向かっていくことの勇気を思うものです。
そういうものは、言わなくても伝わるようなもので、
普段の心がけや姿勢が問われているなと思います。
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あとは、自分の人生の運命のようなところで、
今は、高円寺で「居酒屋・竜ちゃん」を経営している、
山本竜二さんのこれまでの歩みが強く胸を打ちました。
著書の「男優・山本竜二」が今は絶版になっていて、
中古でも定価よりも少し高いくらいなのですが、
何かを成し遂げたような時に手に入れようと、
今は(今もずっと)思案中です。
機会があれば、手に入れて読んでみたい一冊です。
当時、この刊行を記念したインタビューがあって、
これだけでも相当の内容の濃さがあるので、
ついつい引き込まれて読んでしまうものです。
どれもが壮絶とでもいうようなエピソードばかりなのですが、
山本竜二さんは、それでも前向きといいますか、
特に悲嘆に暮れていないところが素晴らしく思います。
体を張っている、その張り具合が人並みではないのですが、
ウ⚪︎コは食べるもの!?かを知るきっかけにもなるので、
決して諦めない「自転車理論」も知ってもらいつつ、
詳しくはインタビューを参照してもらいたいものです。
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果たして、"幸せなセックス"ができるとか、
"心身ともに深いつながり"を持てるとかを、
自分なりにとことん突き詰めて考えていくと、
行為としてのセックスをしないよりかはもちろんしたいけれど、
そこだけを求めているばかりではないなというのがあります。
自分の性欲がどれくらいだなんてわからないものですが、
まったくの皆無ではないので、少なからずあるとしても、
それ以外の要素、会話や心の通じ合いなども求めており、
そういうものを大きくひとまとめにして、
全体的につながれる人が、異性であればより良いものか、
それが"幸せなセックス"につながるとか、
"心身ともに深いつながり"になっていくように思うわけです。
多くの場合では、仕事の話はこの人、趣味の話はこの人と、
それぞれを分けて話すことが多い普段の生活においては、
むしろそれがほとんどであって、当然かと思いますが、
たとえば、今の仕事をしているのはなぜなのか、
趣味にしても、どうしてそれを好むのかなど、
自分自身の存在の全体を知り合う機会は少ないものです。
医療の現場では、それぞれの専門や得意な分野があるにしても、
患者の全体を見て、診察しましょうという考えもあって、
咳が出るのは、肺の疾患ではなく別のところであるとか、
足が動かないのは、脳の腫瘍が原因だということもあるので、
特定のある部分ではなくて、全体で見ることで、
その人全体を良くしていこうという考えになります。
普段から一緒にいるような人や身近な人であっても、
部分でなくて全体で見るようなことが好ましく、
断片的に言えば、自分自身の興味もいくつもありますが、
それを個人でとらえると説明がひとでできるように思います。
先ほどのトラウマの話ではありませんが、
たとえば、順風満帆に生きているように見えても、
違うところでは物足りなさを感じているかもしれませんので、
家族構成、趣味・特技、生まれ育った環境や、
これまでに受けてきた影響などを多く知り合って、
それでどうなのかということが大切にしたいところです。
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それに関して、セックスについても考えてみれば、
生殖、快楽、安心=孤独の克服のどのセックスなのか、
私が求めているのは、3つめが多く占めるように思います。
森林原人さんの「セックス幸福論」が刊行されたのを記念し、
これまで書き記してきたようなことを凝縮したような内容で、
たった一度でも、"幸せなセックス"ができ、
"心身ともに深いつながり"を持てるのであれば、
もうそれだけでも生きていけるくらいの感覚になるそうです。
森林さんも、二村さんもかなり哲学的に考えているし、
理論も実践もあるところに説得力があるものです。
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総じてということになるのでしょう、
どうにも物事がうまくいっていないとか、
自分は恵まれていないとかを考えるような時には、
気持ちが過去に行ったり、未来に行っていたりするものです。
これまで何度か取り上げているように、
呼吸を意識することで、これらの解消になることもあり、
瞑想が良いとされるのは、これにも関連するところです。
呼吸の仕組みとしては、意識をしていようがいまいが、
息を吸って吐いてを繰り返しているものですが、
どうしても緊張しているような時には、
呼吸が浅くなりがちで、交感神経が優位に働いています。
これを意識的に深く呼吸することによって、
副交感神経とのバランスを取って、
気持ちがリラックスしてくるものです。
ここでの、呼吸の仕方で言えば、
意識/無意識、呼吸の浅さ/深さとともに、
交感神経/副交感神経に働きかけることができています。
また、何か心配があるような場合には、
過ぎ去った過去を思い悩み、まだ来ない未来を憂いと、
気持ちが"今"に来ていないことが大きい理由のようです。
そこで、意識的に呼吸を意識することで、
"今、ここ、私"と、時間的にも空間的にも、
そして、自分自身にも意識を向けることができるわけですね。
これは、過ぎてしまったことは取り戻せないし、
起きてもいないことは手の施しようがないわけで、
私は、今まさに何ができるのかということに目を向ける方が、
今のこれからをどのようにもできることにつながってきます。
そうして、その繰り返しで、昨日より今日、
今日より明日の気持ちで、前向きに取り組んでいくことが、
物事自体も好転していくことになっていくものです。
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これはきっと経験のあることかと思いますが、
楽しい時には時間が早く過ぎるものだし、
そうでない時にはやたら長く感じるのは、
それなりに自分自身に返ってくるようです。
実際には2時間くらいが過ぎていようとも、
体感の時間で、それが2分だとするならば、
その人自身が生きている時間が2分ということになって、
だから、毎日を楽しく過ごしている人が若々しく、
いつも元気でいるというのは、ここに理由があるそうです。
誰にも等しく1日が24時間であって、
一年ごとに年齢が増していくものですが、
それと体感の時間が異なることによって、
年齢の割に若いとか、その反対とかがあるので、
そういう意味では、"年齢は数字でしかない"のは、
理屈が通っているなと思うわけです。
そうして、"今、ここ、私"が生きることに夢中であれば、
まさに今にしか気持ちや意識が向いていないわけで、
時々は目が回るほどに目まぐるしいとか、
記憶にないくらなこともあるかもしれないけれど、
それはまた、幸せな状態なのかもしれません。
別の言い方をすれば、"今に集中する"ことが幸せであり、
その積み重ねが、大きな幸せになるような気がします。
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そして、「序説」とも謳ってはいますが、
これは今回いっぱい考えたことは終わりでなくて、
全てのはじまり、続きはこれからだともいうようなことで、
これからも引き続き追い求めていこうと思っています。
あくまで、ここがはじまりというようなところなので、
「序説」の次が何になるのかはわかりませんし、
続きをどうするかということは、今のところは未定です。
これまで、ひとつのことをいくつかの要素に分けて、
それで取り上げて考えてきましたが、
だいたい3つに分けてみると、わかりやすくなる気がします。
そうして、最後に(なるかは少し不明ですが)考えてみると、
"幸せなセックス"、"心身ともに深いつながり"のためには、
理屈ばかりでもなく、感情ばかりでもなく、
行為ばかりでもないような気がしてきて、
これを簡略化すると"頭、心、体"の要素になるかと思います。
これは、個人差はもちろんあるものですし、
ひとつの大きな傾向だなと思うのですが、
男性はどうしても頭で考え、女性は体で感じるのが、
どちらかというと傾向として強いのかなと思います。
そうして、男女の関係でしばしば問題が起こるのは、
理屈っぽいのと感覚的なところでの衝突・摩擦があるのかなと、
今後のために、心に留めておきたいなと思いますし、
お互い配慮ができると、より望ましいなとも思います。
"幸せなセックス"や"心身ともに深いつながり"のためには、
どれもが必要で、どれもが欠かせないわけで、
どれかひとつばかりがあっても、成り立たない気がします。
私の場合で言えば、考えるのが好きで、その傾向が強いので、
動いていくのと、感じていくのを念頭に入れながら、
もしもそれが行為としてのセックスであるのならば、
そこに没頭していくのが良いということになります。
どんなことでもそうですが、知って、やってみて、
それでわかることが多いわけですから、
その流れや順序を意識していくことが大切なことです。
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これまで、セックス、セックスと何度も書き記していますが、
"幸せなセックス"や"心身ともに深いつながり"のように、
私の求める、セックスが安心=孤独の克服とすれば、
それを追い求めていることを言い換えてみるならば、
「性欲」や「セックス」→「生きる力」としても良さそうです。
「性」の漢字の成り立ちが「心が生きる」ことでもあるので、
まさに、心が生きていく「生きる力」を賦活して、
それがまた"生命力の強さ"みたいなことになれば、
そのときには、少なからず"幸せなセックス"を体感し、
"心身ともに深いつながり"を持てているように思います。
頭と心と体とを駆使していく今後においては、
考えるばかりでもなく、感じるばかりでもなく、
そして、動くばかりでもなく、
そのそれぞれが三位一体となっていくことが、
何か理想に近づいていく道程のように思います。
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これまで述べてきたようなことを考えたり、
体系的に知っていたりする人がいるのかは、
機会を見て、個別に尋ねていくしかないわけですが、
人と関わることの可能性も感じながら、
本当にひとりでも構わないので、
そういう人=異性と知り合ってくことを望みます。
少なくとも、これだけの(感覚的な)紙幅を費やしているので、
私が、口を閉じていても頭で考えていることの何割かは、
これで何かは伝わり、わかってもらえるような気がします。
本当の最後には、しみけんさんのプロ魂を感じられる、
「プロフェッショナル 仕事の流儀(風)」(PCのみで閲覧可能)を、
ここに紹介して、締めくくりとしたいと思います。
<終>