幸福追求論・序説 <その3>

 

<その2>からの続き…。

 

 

だいぶ多くの分量を費やしてきて、

言いたいことの多くも出し切ってきたところで、

ひとつ締めくくりに向けて続けていこうと思います。

 

付随すれば、内田樹さんの「人生はミスマッチ」とか、

結婚と合気道」とかの内容を知ってもらうことで、

言いたいこともあるのですが、今回は紹介に留めておきます。

 

ここからは、何かを取り上げながら進めるというよりかは、

いろいろなことを考えながら、私はこう思うというところを、

多く書き記していければ良いなと思っています。

 

 

今回、言いたいことばかりが増えて溢れただけなので、

タイトルはほとんど即興的に考えていましたが、

内容に照らし合わせてみれば、"幸せなセックス"とは何か、

"心身ともに深いつながり"を持つにはどうすれば良いのか、

こういうことが主題として掲げているわけで、

それを追求しながら考えるのが良いだろうと思ったことと、

あとは、「天使論序説」というものの影響もあります。

 

身の回りで、あまり知っている人はいないけれど、

なかったことにするにはできない話のひとつです。

 

 

代々木忠監督のブログでもあったのですが、

トラウマのセラピーとかカウンセリングとかで、

突き詰めていくと性的なことに関わることが多く、

それだけに、自分自身の自我とか存在に対して、

セックスというものは大きい影響をもたらしているわけです。

 

自分自身の場合、それがあてはまるのかはわかりませんが、

確実に、長く心の中で抱えている事柄はあって、

必ずしも性的なところはないのかもしれませんが、

何となく推測するに感じ取ることはできる気はします。

 

特に、こういう10月や11月を迎えようとする時期は、

思いが溢れて、目が潤うようになってくるものですが、

これは誰に対しても言えるようなものでなく、

容易にわかってもらえるようなものでもないだけに、

私は私の口を閉ざし、心も閉じるようになるのだと思います。

 

ある程度わかっていて、そうでないように振る舞いもしますが、

根底だとか、背景だとかに思いを持つような人がいれば、

それはまた、ありがたいことだなと思うし、

自分も少なからずそうでありたいと思っています。

 

代々木監督の場合では、セックスで負ったものは、

セックスで解消するようなことも多くあるようで、

恋愛の痛手は恋愛で埋めるとか、

仕事の失敗は仕事で挽回するように、

決して同じ轍は踏まないようにしながらも、

逃げずに立ち向かっていくことの勇気を思うものです。

 

そういうものは、言わなくても伝わるようなもので、

普段の心がけや姿勢が問われているなと思います。

 

 

あとは、自分の人生の運命のようなところで、

今は、高円寺で「居酒屋・竜ちゃん」を経営している、

山本竜二さんのこれまでの歩みが強く胸を打ちました。

 

著書の「男優・山本竜二」が今は絶版になっていて、

中古でも定価よりも少し高いくらいなのですが、

何かを成し遂げたような時に手に入れようと、

今は(今もずっと)思案中です。

 

機会があれば、手に入れて読んでみたい一冊です。

当時、この刊行を記念したインタビューがあって、

これだけでも相当の内容の濃さがあるので、

ついつい引き込まれて読んでしまうものです。

 

どれもが壮絶とでもいうようなエピソードばかりなのですが、

山本竜二さんは、それでも前向きといいますか、

特に悲嘆に暮れていないところが素晴らしく思います。

 

体を張っている、その張り具合が人並みではないのですが、

ウ⚪︎コは食べるもの!?かを知るきっかけにもなるので、

決して諦めない「自転車理論」も知ってもらいつつ、

詳しくはインタビューを参照してもらいたいものです。

 

 

果たして、"幸せなセックス"ができるとか、

"心身ともに深いつながり"を持てるとかを、

自分なりにとことん突き詰めて考えていくと、

行為としてのセックスをしないよりかはもちろんしたいけれど、

そこだけを求めているばかりではないなというのがあります。

 

自分の性欲がどれくらいだなんてわからないものですが、

まったくの皆無ではないので、少なからずあるとしても、

それ以外の要素、会話や心の通じ合いなども求めており、

そういうものを大きくひとまとめにして、

全体的につながれる人が、異性であればより良いものか、

それが"幸せなセックス"につながるとか、

"心身ともに深いつながり"になっていくように思うわけです。

 

多くの場合では、仕事の話はこの人、趣味の話はこの人と、

それぞれを分けて話すことが多い普段の生活においては、

むしろそれがほとんどであって、当然かと思いますが、

たとえば、今の仕事をしているのはなぜなのか、

趣味にしても、どうしてそれを好むのかなど、

自分自身の存在の全体を知り合う機会は少ないものです。

 

医療の現場では、それぞれの専門や得意な分野があるにしても、

患者の全体を見て、診察しましょうという考えもあって、

咳が出るのは、肺の疾患ではなく別のところであるとか、

足が動かないのは、脳の腫瘍が原因だということもあるので、

特定のある部分ではなくて、全体で見ることで、

その人全体を良くしていこうという考えになります。

 

普段から一緒にいるような人や身近な人であっても、

部分でなくて全体で見るようなことが好ましく、

断片的に言えば、自分自身の興味もいくつもありますが、

それを個人でとらえると説明がひとでできるように思います。

 

先ほどのトラウマの話ではありませんが、

たとえば、順風満帆に生きているように見えても、

違うところでは物足りなさを感じているかもしれませんので、

家族構成、趣味・特技、生まれ育った環境や、

これまでに受けてきた影響などを多く知り合って、

それでどうなのかということが大切にしたいところです。

 

 

それに関して、セックスについても考えてみれば、

生殖、快楽、安心=孤独の克服のどのセックスなのか、

私が求めているのは、3つめが多く占めるように思います。

 

森林原人さんの「セックス幸福論」が刊行されたのを記念し、

二村ヒトシ監督と行った対談が非常に興味深く思いました。

 

これまで書き記してきたようなことを凝縮したような内容で、

たった一度でも、"幸せなセックス"ができ、

"心身ともに深いつながり"を持てるのであれば、

もうそれだけでも生きていけるくらいの感覚になるそうです。

森林さんも、二村さんもかなり哲学的に考えているし、

理論も実践もあるところに説得力があるものです。

 

 

総じてということになるのでしょう、

どうにも物事がうまくいっていないとか、

自分は恵まれていないとかを考えるような時には、

気持ちが過去に行ったり、未来に行っていたりするものです。

 

これまで何度か取り上げているように、

呼吸を意識することで、これらの解消になることもあり、

瞑想が良いとされるのは、これにも関連するところです。

 

呼吸の仕組みとしては、意識をしていようがいまいが、

息を吸って吐いてを繰り返しているものですが、

どうしても緊張しているような時には、

呼吸が浅くなりがちで、交感神経が優位に働いています。

 

これを意識的に深く呼吸することによって、

副交感神経とのバランスを取って、

気持ちがリラックスしてくるものです。

 

ここでの、呼吸の仕方で言えば、

意識/無意識、呼吸の浅さ/深さとともに、

交感神経/副交感神経に働きかけることができています。

 

また、何か心配があるような場合には、

過ぎ去った過去を思い悩み、まだ来ない未来を憂いと、

気持ちが"今"に来ていないことが大きい理由のようです。

 

そこで、意識的に呼吸を意識することで、

"今、ここ、私"と、時間的にも空間的にも、

そして、自分自身にも意識を向けることができるわけですね。

 

これは、過ぎてしまったことは取り戻せないし、

起きてもいないことは手の施しようがないわけで、

私は、今まさに何ができるのかということに目を向ける方が、

今のこれからをどのようにもできることにつながってきます。

 

そうして、その繰り返しで、昨日より今日、

今日より明日の気持ちで、前向きに取り組んでいくことが、

物事自体も好転していくことになっていくものです。

 

 

これはきっと経験のあることかと思いますが、

楽しい時には時間が早く過ぎるものだし、

そうでない時にはやたら長く感じるのは、

それなりに自分自身に返ってくるようです。

 

実際には2時間くらいが過ぎていようとも、

体感の時間で、それが2分だとするならば、

その人自身が生きている時間が2分ということになって、

だから、毎日を楽しく過ごしている人が若々しく、

いつも元気でいるというのは、ここに理由があるそうです。

 

誰にも等しく1日が24時間であって、

一年ごとに年齢が増していくものですが、

それと体感の時間が異なることによって、

年齢の割に若いとか、その反対とかがあるので、

そういう意味では、"年齢は数字でしかない"のは、

理屈が通っているなと思うわけです。

 

そうして、"今、ここ、私"が生きることに夢中であれば、

まさに今にしか気持ちや意識が向いていないわけで、

時々は目が回るほどに目まぐるしいとか、

記憶にないくらなこともあるかもしれないけれど、

それはまた、幸せな状態なのかもしれません。

別の言い方をすれば、"今に集中する"ことが幸せであり、

その積み重ねが、大きな幸せになるような気がします。

 

 

そして、「序説」とも謳ってはいますが、

これは今回いっぱい考えたことは終わりでなくて、

全てのはじまり、続きはこれからだともいうようなことで、

これからも引き続き追い求めていこうと思っています。

 

あくまで、ここがはじまりというようなところなので、

「序説」の次が何になるのかはわかりませんし、

続きをどうするかということは、今のところは未定です。

 

これまで、ひとつのことをいくつかの要素に分けて、

それで取り上げて考えてきましたが、

だいたい3つに分けてみると、わかりやすくなる気がします。

 

そうして、最後に(なるかは少し不明ですが)考えてみると、

"幸せなセックス"、"心身ともに深いつながり"のためには、

理屈ばかりでもなく、感情ばかりでもなく、

行為ばかりでもないような気がしてきて、

これを簡略化すると"頭、心、体"の要素になるかと思います。

 

これは、個人差はもちろんあるものですし、

ひとつの大きな傾向だなと思うのですが、

男性はどうしても頭で考え、女性は体で感じるのが、

どちらかというと傾向として強いのかなと思います。

 

そうして、男女の関係でしばしば問題が起こるのは、

理屈っぽいのと感覚的なところでの衝突・摩擦があるのかなと、

今後のために、心に留めておきたいなと思いますし、

お互い配慮ができると、より望ましいなとも思います。

 

"幸せなセックス"や"心身ともに深いつながり"のためには、

どれもが必要で、どれもが欠かせないわけで、

どれかひとつばかりがあっても、成り立たない気がします。

 

私の場合で言えば、考えるのが好きで、その傾向が強いので、

動いていくのと、感じていくのを念頭に入れながら、

もしもそれが行為としてのセックスであるのならば、

そこに没頭していくのが良いということになります。

 

どんなことでもそうですが、知って、やってみて、

それでわかることが多いわけですから、

その流れや順序を意識していくことが大切なことです。

 

 

これまで、セックス、セックスと何度も書き記していますが、

"幸せなセックス"や"心身ともに深いつながり"のように、

私の求める、セックスが安心=孤独の克服とすれば、

それを追い求めていることを言い換えてみるならば、

「性欲」や「セックス」→「生きる力」としても良さそうです。

 

「性」の漢字の成り立ちが「心が生きる」ことでもあるので、

まさに、心が生きていく「生きる力」を賦活して、

それがまた"生命力の強さ"みたいなことになれば、

そのときには、少なからず"幸せなセックス"を体感し、

"心身ともに深いつながり"を持てているように思います。

 

頭と心と体とを駆使していく今後においては、

考えるばかりでもなく、感じるばかりでもなく、

そして、動くばかりでもなく、

そのそれぞれが三位一体となっていくことが、

何か理想に近づいていく道程のように思います。

 

 

これまで述べてきたようなことを考えたり、

体系的に知っていたりする人がいるのかは、

機会を見て、個別に尋ねていくしかないわけですが、

人と関わることの可能性も感じながら、

本当にひとりでも構わないので、

そういう人=異性と知り合ってくことを望みます。

 

少なくとも、これだけの(感覚的な)紙幅を費やしているので、

私が、口を閉じていても頭で考えていることの何割かは、

これで何かは伝わり、わかってもらえるような気がします。

 

本当の最後には、しみけんさんのプロ魂を感じられる、

プロフェッショナル 仕事の流儀(風)」(PCのみで閲覧可能)を、

ここに紹介して、締めくくりとしたいと思います。

 

<終>