あちらこちらに向く

 

人それぞれに思う向きがあって、それはそれで構わないなと思うものです。

自分はこう思う、あなたはこう思うなど、意見が合致することもあれば、何だか相容れないなと思うこともあって、ことあるごとに取り沙汰するのも何だか不毛なことのように思います。

ものの考え方もそうですし、相性のような、感覚的で曖昧なものもそこには含まれることでしょう。

もちろんしっかり考えを究めるようにはするのだけれども、わからないことは多々あるし、明快な突破口が見出せないようなことも多いものです。

これは、自分の中でもそうなのだから、誰かと話していて、こちらの主張は表すにしても、それを押し通すばかりでもないのが賢明なところです。

会議や意見をまとめる機会がある場合、その時々の落とし所やゴールがどこにあるのか、しっかり着地することが大切なわけですし、おおむね全員の合意に達しているというのが優先されるもののように思います。

たとえば、スポーツ大会を開催するとして、何か球技を取り入れようという場合、サッカーか野球かで意見が別れたとします。

こういう時に優先されるのは、何らかの球技を決めることにあるのだから、サッカーが好きだ、野球が好きだとか、自分の支持する方を声高に叫ぶことにあるのではありません。

場合によっては、サッカーか野球かでもめる必要はまったくなくて、バレーボールやテニスでも構わないわけですし、最終的には球技の何かで収まれば良いわけです。

こういうことをよくわかっていないと、あの人が野球と言うから、こちらは断固反発してやるぞとか、その意見を真っ向から否定してしまうとか、支離滅裂な発想になってしまいがちです。

決して投げやりな態度ではないところで、「どちらでも良いんじゃない?」と言えるような軽やかさもまた必要だということです。

色鉛筆において、山吹色とレモン色と・・・と挙げてあったところで、だいたい黄色であれば良いよね、みかんのような濃いオレンジとか、熟す前のバナナの色のような黄緑でなければ構わないというのも大切な態度であるように思います。

およそ自分はこう思うという考えの向きを持つことは大切ですが、限りなく強気な一直線というばかりでなく、曲線を描いたり、線の太さが変わるように、その時々で求められていることに合うようにしたいものです☆