あちらのこちら側

 

良かれと思ったことが裏目に出てしまう、あるいは、何の気なしにやったことが大きく取り上げられるようなこともあるでしょう。

どちらかというと、前者の方が多いのかもしれませんが、何もやらないでいるよりかはずっとマシなような気がします。

そして、できることのひとつひとつの精度を上げながら、かつ、できることの種類や幅を広げていくこともしていきたいところです。

ただ、これには陥穽にはまるような部分があって、言われるがままとか、状況に任せるままでは、見切り発車も甚だしいとか、どうしても寸足らずみたいなことになりがちです。

先を急ぐあまり、あれもこれもと手を広げるがために、全部が中途半端になってしまうこともあるものです。

そういう行動の仕方やポジションの取り方では、「万能」と言えば聞こえは良いように思いますが、それはまた「便利屋」ということと背中合わせのものでもあります。

なまじそれなりにできてしまうのだとしても、全部が60点くらいであれば、何が得意とか、何を任せるべきなのか、周囲の戸惑いに加え、自分自身の拠り所のなさのようなことにつながるでしょう。

総じて、ままならないものだとしても最善を尽くすことは忘れてはいけません。

そういう、"わがまま"ではないけれど自分の譲れないもの、こだわりたいところは持っていないと、流されるままになって、自ら流れを引き起こすことができません。

相手の気持ちを推し量り、自分の気持ちも把握しつつ、良い方に転がるようにしていけば、あとは勢いを増していくだけです。

どちらも裏の裏を取ろうとしていると、表には何もないということにもなりかねないものです。

そして、何が重要で、何が喫緊のそれでないものか、しっかり見極めることが大切です。

もしも何もかもが散漫になってしまっていたとしても、どこからか手をつけなければいけません。

ニュルニュル滑る「うなぎ」のようなものだとしても、クギを頭部に打ち込めばさばきやすくなるように、どこか一点をまず固定することが大切なのでしょう。

それは優先順位を見定めるとか、自分の意思にもとづくとか、できるだけ手元のところで決められると良いのかなという気がします。

人はどうしても、流される・流れ行くものであるから、身を任すことも必要なだけに、このあたりのバランスを上手に取りたいものです☆