あまり気にしていない

 

どうやら"年齢"というフィルターを通して考えてみると、自分自身、結婚するとか出産・子育てとかについて取り組むのに、ひとつの分水領に行き当たっているようです。

確かに、子どもをひとりか何人か持つとして、成人するまで合わせて20数年を要するわけですから、その時に自分は何歳になっているのかを考えると、切実さは日ごとに増しているのかもしれません。

しかし、自分自身にとってそれほど切迫していると感じられないこともあるし、年齢を引き合いにして考える習慣をさほど持っていないので、それもまた何かしら特別な意味を持つようなこともありません。

あるいは、気の合う相手と巡り合うところからの話になるので、その先のことはまるで未知というか、それ以上何かを言い得るようなことはあるのか、今の時点ではきっとないような気がします。

そして、この論考はこれにて終了!となって、単純にそれだけのことになります。

あとは、思いつくままに述べていくかといったところで、ひとりバーでお酒を傾けながら、マスターにポツリポツリと語るようにして、それなりに(想像上の)紙幅を埋めていこうかという按配です。

こういうものはきっと、"ネイチャー"の観点から見るとわかることも多いのかなという気がします。

生まれ持った気質であるとか、もともと自分にある物事の考え方みたいな意味を持つ"ネイチャー"ですが、積極的に工夫できるところで言えば、使う言葉と振る舞いをどうするかなのだと思います。

これは、しっかりと展開していきたい話題でもあるのですが、どのような言葉を用いていくかは、どのような文体であるとか、どのようなエクリチュールを採用するのかということにもつながっていきます。

少し長い目で見てみれば、自分の使う言葉によって自分自身が属する場所や関わる人たちが変わっていきますし、それだけでなく、身の回りや周囲の人に与える影響もあります。

人生的と言ってしまえば、やや大仰な気もしますが、日々の小さな積み重ねがそういうものにだって大きく影響を与えることになるでしょうから、注意を向けないでいるよりかは向けた方が良いと言えるでしょう。

そういう、大きな枠組みで物事を考えるのが私のクセでもあって、それゆえに、身近なところでの云々はそれほど大きな意味を持たないのはあります。

即座に忘れるわけではないけれど、あまり思い続けてもどうしようもないものは、さっさと見切りをつけていくのが良さそうです。

たとえそうなのだとしても、何かを望むとか求めるというのは必要である一方、足元の事柄から目を向けていくというのも大切なことだなと思います。

あとは、どうにもならないことは何も思わないというのが、究極の見地とも考えられるので、これらを組み合わせながら、日々楽しんでいけたら良いですね☆